地球という星について考える その四 人間と動物の霊性について 後編
(今回は、前のお話の重要な本質部分に入っていきます)
これはですね、最初に結論から申しますとペットや動物というものは自然霊なのです。
それに対して人間は、肉体を離れるとそれぞれが個の存在の霊人となって魂の世界へ帰っていくのですから、明らかに自然霊との違いがあります。
(今回長くなるので詳しくは書きませんが、人間の魂も類魂と言って霊界のある段階においては魂としての集合意識となる場合もあります)
ですからペットのワンちゃんは、亡くなると個別の魂とはならずに自然霊として集合意識へと帰っていくのですね。
おそらくは犬の霊界や猫の霊界、牛の霊界いう様に個別の段階が有る訳ではありませんので、それぞれが自然霊として動物の集合意識に集約されていくのですね。
では、花や樹木や鳥などの地球上で生きている他のものたちははどうかと言いますと、それらも自然霊の一部なのです。
この話で思い出しますのは、以前、名古屋の方でホームレスの方の炊き出しボランティアを数年間していたことがありまして、その毎週来るメンバーのなかに医者をしていたNさんという人がおりました。
(このボランティア団体は、ナチオ君という友人が代表をやっているオアシスという団体でして、毎週火曜日の夜に白川公園斜め前の100m道路の高架下の空き地で炊き出しや食糧配布をしており、何方も自由に参加してボランティア体験が気軽に出来るというキャッチフレーズの組織なのです。
ご興味のある方はSNSなどで一度検索してみて下さい。)
その人は、知り合った頃には一緒にレストランへ行っても一切肉を食べませんでしたので、何故食べないのかその訳を訊いてみると、霊的な意味合いから肉断ちをしているということを話してくれました。
自分も若い頃は焼き肉とかが大好きで、しょっちゅう焼肉屋に肉を食べに行っておりました。
霊的な気付きがあった頃から行かなくなったのかどうかは今ではハッキリとは覚えていませんけれども、これもまた一宮のホームレス支援の団体の所長に連れられて行ったのが人生最後の焼き肉屋でして(そこの所長が肉大好きなオッサンなのです)、もうかれこれ十五年以上は前の事になりますでしょうか?
確かにハッキリ言ってしまうと、肉の波動は決して高くはないのは事実ですよ、食肉は屠殺とかされている訳ですからね。
しかし自分は、ベジタリアンやビーガンみたいに絶対に食べないと頑なに拒否しているということもありません。
流石に牛肉はもう殆ど口にしてはいませんけれども、外食とかで中華料理を食べに行けば餃子の中にも豚肉は入っていますし、ラーメンを頼めばチャーシューも麺の上に乗っていますからね、美味しく感謝しながら頂いています。
これは、絶対そうだという訳ではなくて、わざわざ豚肉の料理を食べに行くということがあまり無くなったという程度のお話なのです。
そもそも地球上の殆どの生き物は、他の生き物の存在の上に成り立っているという部分が厳然とある訳ですから、これは自然の摂理の循環であるとも言えるのでしょう。
でも家で食べる肉といえば、二本足の鶏肉しか食べなくなってから何年も経ちますねぇ。
これは多分自分のなかでは、同じ動物でも四足の動物とは霊的に少し違うという認識があるからなのでしょうね。
魚は普通に食べますよ、魚や虫や微生物、キノコ等は所謂「自然霊」のカテゴリーでは無いですからね。
余談ですが、今年、愛子様が、大学の御卒業と御就職を天皇家の御祭神である伊勢神宮へ報告のために参拝に行かれましたが、そのときに出される食事も肉類は無いそうです。
この話を訊いて、自分の認識からすると之はさも有りなん、と至極納得致した次第です。
続きます。
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