医食同源 食がもたらす心と身体の病について考える その五 日本本来の食文化とは?(1)

今の自分のマイブームはですね、江戸時代のお話に嵌っていまして、「剣客商売」という時代小説をちょうど読んでいるところなのですけれども、お話の中に江戸当時の武家や一般庶民達の食事情というものが頻繁に出てきて、非常に興味深いものがあるのです。


そう言えば思い出せば大学時代、東京にはうどん屋というもの自体があまり無く、蕎麦屋がやたら彼方此方にあるので驚いたした記憶があるのですけれども、そういう点では自分が住んでいる愛知県というのは、東京に比べると完全にうどん文化の県と言えるのでしょうね。


江戸時代からうどんは上方(大阪、関西方面)の庶民の食べ物で、江戸などの東日本は蕎麦の栽培に適した気候の関係から、江戸庶民はうどんよりも蕎麦に馴染みがあったのでしょう。


江戸時代については、17世紀から18世紀初頭にかけての江戸中期の(京都、大阪の上方商人を中心とした)「元禄文化」と、後期の「化政文化(文化〜文政)」の二つの時期において、社会学的な意味合いで武家から町民、庶民に到る迄の江戸文化というものが隆盛期を迎えることとなりました。


元禄時代には井原西鶴や近松門左衛門、松尾芭蕉といった文化人を、化政時代には葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿、東洲斎写楽といった今でも世界的に著名な浮世絵師を多数輩出しています。


食についても同様で、町人や武士階級の文化を楽しむ土壌が整った為に生活様式も非常に安定して、今の日本人本来の食事情のひな型といえるものがこの江戸文化の頃から形成されていったと言えるでしょう。


「剣客商売」でも食事の場面が頻繁に出てきまして、和食というカテゴリーに限っては今の我々が食べている和食と言われるものと然程変わることはないのですね。
(但し、魚介類はよく食べられていましたけれども、仏教の動物の殺傷を禁忌する教義から、流石に肉類はあまり公には食べられていなかった様です)


その時代には、料理茶屋や飲み屋、高級料亭、和菓子問屋、果てはいろいろな屋台が庶民の暮らしを楽しませ、しっかりと支えて居りました。


そして人(特に男性)が集えば、常に酒が出ていた様で、誰かが訪ねてきても酒、何処かの飯屋で待ち合わせても酒というあんばいで、今より遥かに娯楽が少なかったせいか、人と会えば取り敢えず肴をツマミに酒を酌み交わして会話を楽しんでいた様です。


ただ、当時のお酒は原酒に水を加えた「玉割り」という酒を燗付けにして飲むのが通常で、今で言うと麦酒程度しかアルコール度数がなかったそうですから、我々がもしも当時の江戸の日本酒を飲めば、あのこってりした日本酒独特の味わいというよりもシャビシャビの水っぽい酒の様なものを飲むことになり、自分のような下戸には返ってちょうど良かったのかもしれません。


(ちなみに江戸時代の日本酒を再現するには、日本酒の量に対して二倍の水で薄めると麦酒程度のアルコール度数5%の日本酒になります。
お酒の味が薄くてビックリされるでしょうが、深酒さえしなければ健康に良いお酒と言えるでしょう。
ご興味のある方は一度お試しあれ。)


そして屋台については、上述の蕎麦の屋台や寿司の屋台、天麩羅の屋台、鰻の屋台が人気があったようで、寿司は今と違って遥かにシャリが大きく、大きめのおにぎりサイズの物をおやつ代わりに食べていたそうですから、お江戸の屋台は今で言うところのマックやMr.ドーナツのようなファーストフードであったと言えるのかもしれません。


鰻も最初の頃は丸ごとそのまま焼いていたそうで、ハッキリ言ってあまり人気も無かった様ですが、開きにしてタレを付けて焼く今のスタイルになってから爆発的に庶民に受け入れられるようになり、屋台でよく食べられる人気の日本食となりました。


(皆さん、関東と関西では鰻の捌き方が逆なのをご存知でしょうか?
関東では武士の切腹を連想させることから腹開きはしないのです。
江戸の武家文化と上方の町人文化の違いが捌き方にも出ており、非常に興味深いですね。)



この話は後編へ続きます。










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