韓国人窃盗団によって盗まれた対馬の仏像、12年ぶりにやっと返還される 前編

(食のトピックは、後日また上げさせて頂きます。)


今回の事の経緯をお話しますと、今から12年前の2012年10月、長崎県対馬にある観音寺から国や県の指定重要文化財である仏像2点が韓国人窃盗団によって盗まれました。


その仏像は翌年韓国内で見つかり、通常であればユネスコの国際条約により元の寺に速やかに返還される手筈となるのです、が…。


しかし、信じられない事に窃盗された仏像を所有していた忠清南道にある浮石寺が、この仏像はもともとは浮石寺のものであり、倭寇に略奪されたものであるという理由で日本への返還を拒否したのです。


また浮石寺側は、太田地方裁判所に返還差し止めの仮処分申請をして、地方裁判所は「(対馬の寺院である)観音寺側が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで、日本に仏像を返還してはならない」というとんでもない決定を下しました。


しかも裁判では、浮石寺側に数百年前に倭寇が強奪した仏像だという証拠を求められたものの、「根拠を示す鑑定書は仏像を失ったときに、思い出すのが悲しいので捨てた」という如何にも韓国人らしい情緒的な苦し紛れの主張をして、強奪の根拠は提示出来ませんでした。


当時の朝鮮半島の歴史的な背景をお話しますと、李氏朝鮮時代(1392〜)、それまで高麗によって手厚く保護されていた仏教は、儒教が国教となると徹底的に弾圧(斥仏揚儒)されました。


寺の数も厳しく制限され、多くの寺院は領地の没収や仏像なども破壊され尽くし、僧侶も都から追放されたり奴婢(ぬひ、奴隷階級)に落とされるなど、日本の明治期の「廃仏毀釈」とは比較にならない位の苛烈な暗黒時代を余儀なくされたのです。


李朝三代目の国王太宗の時代には、高麗時代に一万以上有った寺院の数が何と242寺迄減らされたと言われています。


当時の朝鮮半島では、彼等は徹底的に仏教を弾圧し、寺院、仏像等を破壊していたという背景があるのです。


その様な時代背景があるにもかかわらず、浮石寺側は仏像が盗難されたという根拠は提示出来ないのに、日本の観音寺側には盗難していないという根拠を示せ、と裁判所が言っているのです。


しかも、五,六百年も前に自分達が寺や仏像を破壊しまくり僧侶を貧民にまで貶めておきながら、何で倭寇が盗んだと断定できるのでしょう?


600年も前に仏像が果たして盗まれたものかどうかを断定することは100%不可能ですし、普通に考えれば、倭寇が盗んだというよりも寺や僧侶が壊される前に売ったと言うのが自然の成り行きではないでしょうか?


この事件の前にも日本の仏像盗難事件は多発していましたし、事件後の1994年と1999年にも韓国人と神戸の在日朝鮮人による仏像盗難事件が起こっているのです。


散々日本で盗難事件を引き起こしておいて、明らかに盗まれた仏像は返さないなど、本当に言語道断の所業であり、甘えるのもいい加減にしろと声を大にして言いたい!!


(誠に不思議なことに、SNSの一般的な韓国人の認識を見ていると、この仏像は倭寇により盗まれたと言うのがまるで確定事項のようになっているのです、その理由については次回にお話致します)


この話は後半へ続きます。



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