今生きている世界に対する霊界の影響力とは? 後編
しかし、ひと月前は事故を起こして、そのひと月後には下手すると死ぬ様な大事故を免れる、何という鮮やかな対比でしょうか?
これは、霊界の因果律の法則というものをハッキリと表しています。
実は今回、それについてもう一つのとても関連することがありました。
今からひと月弱前、勤め先から有給を貰い岐阜の移住先へと車を走らせました。
その日は何事も無く泊まって次の日の朝、布団を片付ける為に畳んでその上に枕を乗せようと持ち上げた時、裏側に20センチ位の真っ赤なムカデがへばり付いていて、思わず大声を上げてのけ反ってしまいました。(カミさん曰く、キャーッと叫んだそうです、笑)
しかし直ぐに冷静になり、鉄のトングで摘んで外へ持っていき成仏して貰いましたが、このムカデは刺されると結構腫れますので、とても厄介な存在なのです。
それから暫くは何事も無かったのですが、時間が経つにつれて段々と右の股関節の辺りの痛みが激しくなり、午後に中津川の付知の道の駅へ行った頃には痛みでまともに歩けない状態迄になってしまいました。
その夜は早めに食事を済ませて直ぐに横になりましたが、夜中から激痛で全く寝るどころでは無くなりまして、明け方まで何とか悶え苦しみながら耐え抜いて、4時50分に車に乗り込んで病院のある一宮へと帰りました(不思議なことに起き上がって車に乗り込む時だけ、痛みが和らいで歩くことが出来たのです)。
夜明け前ですから車などガラガラで殆どおらず、通常であれば一時間半位で帰れるところを倍の三時間掛かって這這の体(ほうほうのてい)で何とか一宮の家までやっと辿り着き、傘を杖にして激痛に耐えながら病院へと駆け込みました。
結果は椎間板ヘルニアという診断が下り、それから十日以上、横になろうが立ち上がろうが激痛、椅子に座っても這っても激痛、ご飯を食べる為にキッチンへ杖を頼りに行くだけで脂汗が滲んで激痛に悶え苦しむという大変な状態でした。
横になっていても痛みで夜も殆ど寝られず、一、二時間何とか眠って昼間に意識朦朧状態でボーッとして居るという日々がずっと続いていました。
そんな日々の中で五日目頃だったでしょうか、真夜中に激痛に耐えながら膝を抱えている時、フッとある事が頭に入って来ました。
自分が腰を捻ってヘルニアになったのは五月十五日で、ちょうどまる一年前に事故を起こしていたのを思い出したのです。
しかも接触事故を起こした被害者の方は右足大腿骨頸部骨折をされていたのです。
自分が今激痛に耐えているのも右足の股関節辺りであり、嗚呼、これは自分のせいで一年前にその人が苦しんでいた同じ箇所、同じ状態を今自分が己の身を以て体現しているんだと一瞬にして理解したのです。
たとえどんなに辛くても、自分がしでかしたことと全く同じことをそのままさせられているのだから、これはもう耐えるしか無いんだと心に言い聞かせ、ひたすら修行僧の様に毎日過ごして居りましたが、今では何とか杖を頼りにしてある程度歩けるまでに回復致しました。
ちょうど一年前に自分がしたことで同じ箇所の激痛で歩けなくなった人が居り、全く同じことを自分もちょうど一年後にそっくりそのまま体現しているという、こんなわかりやすい霊的な摂理の出来事もあるのかと、その瞬間にはとても驚いたものです。
天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず、という言葉が有りますが、我々が今何気無く生きていると思っていることの全ては、実は霊的な摂理の影響や干渉を漏らすことなく受けているというのが厳然たる事実なのです。
世間の多くの方は、そのようなことを全く知らないか、若しくは特に意識することも無く、それぞれの人生に起こってくる様々な出来事に対して、喜んだり絶望したりして居るのです。
まあこれは霊的な摂理の影響であったり(因果律)、転生する前に意図して自ら経験することを望んだり(魂の学びの為)、守護霊さんの影響であったりする訳ですが、どのみち全ては霊界からの影響に違いありませんので、同じことであるとも言えるでしょう。
但し、魂には絶対不変の自由意志の尊重という法則が有りますので、己の人生を一体どのように生きるのか、それは全てが魂の自己責任に於いて体現し、切り開いてゆくという事なのです。
PS
世間のライトワーカーと言われる人達がSNSやスピ系の本などで、「人生は楽しいことばかりして過ごせば良い」的なお話を良くされています。
しかし本当にそんな人生を歩めるのは、過去世で余程沢山の徳を積んで来られた方ぐらいでして、アラブの諺に「金持ちが天国へ行けるのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」というお話がある様に、今世で成功したから魂が昇華できるかどうかというのは全く関係が無く、下手したら諺の通り誠に残念なことになる魂のほうが多いのかもしれません。
大方の人達の人生というものは、楽しいことや嬉しいことも確かに沢山あるでしょうけれども、悩みや苦しみ、怒り、争い、事故等の大小様々な試練が人生のあらゆる場面で起こってくるのは当たり前のことであり、これはある意味必然であり決して不幸なことでも無いのです。
これはですね、魂というものはそういった様々な悩みや苦しみ、試練というものを乗り越えてこそ魂の昇華に繋がるのであり、それは肉体を持った今を生きている現世でしか達成出来ないのです。
自分は今、日本人としての人生を生かされておりますけれども、何度もこのブログでお伝えしている通り、海外での様々な過去世を生きてきた者としては、本当に日本人であるという稀有な体験をさせて頂いていることを心から神に感謝しているのです。
終わり。
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