生霊(いきりょう)
前回お話しました通り、我々が今生きている世界には成仏していない霊というものは実は沢山いる訳ですが、殆どの方はそれを感知する霊感というものを持ち合わせて居りませんので、何ら感じることも無く普段の生活を送ってみえるのです。
しかし、その人のその時の意識の状態や想いの度合いによっては、一瞬でも霊に感応してしまったり、前回お話した通りなかには厄介な霊に憑依されてしまったりすることもある訳です。
この世で霊と関わることがあるのかどうかは、その人の霊能の素養の強さと想いの持ち様に大きく関係して来るのですね。
人間は、通常であれば肉体を離れると早晩魂の故郷へと帰ることになる訳ですけれども、この世に強い執着があったり、恨みや執念等の思念を抱くと不成仏霊となってこの世に留まることになる場合があります。
ある人達は、ご自身の御先祖様にまつわる霊的なカルマを解消するための使命を帯びてこの世に生まれてくる方もなかにはみえますが、ごく普通の感覚であれば、いちいち何処かへ行く度に霊に乗っ掛かられたり、ましてや憑依されるなどというのは以ての外でしょう。
スピリチュアリズム先進国のイギリスでは、幽霊が出るという館は逆に不動産価値が上がったりするのですけれども、殆どの日本人にとっての霊というのは、何か得体の知れない恐ろしい存在で、なるべくなら関わりたくないというのが大方の共通認識でしょうからね。
そうならない為のとても簡単なたった一つの方法、それは負の想念をなるべく持たないということですよ。
世の中には想い癖というものがありまして、物事をどうしてもネガティブに捉えてしまい勝ちな人達がみえる様ですが、これはもう普段から意識して、なるべくネガティブな思考にならない様にという癖をつけるしか無いのですよ。
これは、人生に立ちはだかる試練やカルマとはまた別の話であって、あくまでもその人の性分のお話ですからね。
まあしかし、自分のことで言わせて頂くと、自分は霊に取り憑かれたりするなどと言うことはまず有り得ないでしょうし、そもそも霊など怖くも何ともないのですよ。
人間なんて、言ってしまえばその本質は霊体な訳ですし、大きなモールなどへ行けば肉体という着ぐるみを着た霊人達がワンサカ彼方此方にさ迷っているという感じですから、特に霊体になったからと言って怖いのかとかいう感覚はあまり無いのです。
自分が思うに、幽霊などよりも遥かに恐ろしいのは生霊(いきりょう)ですよ。
生霊と言う言葉で真っ先に思い浮かべるのは、安倍晴明等のいわゆる陰陽師ですね。
陰陽師というのは、平安時代の貴族達をパトロンとして呪術を使ったり、なかには政敵を追い落とすために陰陽師を使って「呪詛(じゅそ)」を用いて呪詛の相手を失脚させようとする者達も居りました。
呪詛というのは、呪いの言葉や術を使って相手を不幸に陥れる行為であり、安倍晴明は呪術は使っても呪詛は使わなかったと言われています。
生霊というのは、現代版の呪詛の様なものでして、相手に対して妬んだり嫉妬したりしする極めて強い念のことを言うのですが、霊なんかはお祓いすれば何とかなる場合もありますけれども、生きている人間の発するネガティブな想念というものは、なまじっか相手が生きていますので厄介なのですね。
そういった念というのはなかなか大変でして、霊感が有ったり感受性の強い方はその様な念を飛ばされると身体が不調になったり、なかには仕事でトラブルが起きるなど運気が下がってしまう人も居る様です。
ネットの誹謗中傷もこれと同じ事で、人によっては自殺してしまう人も居る位受ける御本人にとっては大変なことなのです。
そういった念を受けないようにする為には、先程お話した事と結局は同じでして、負の想念に怒りなどで返すのは絶対駄目なのですよね。
たとえどんなに強い負の念を送られようとも、もしも相手が分ればその人のことを幸せでありますようにと念じてあげることが、そういった念を受けない様にする一番の手段なのです。
頭の中でその人のことを思い浮かべて、どうかその方が幸せになりますようにと念ずる事、それこそが負の想念よりも遥かに強い想い(神の意識)なのですね。
相手のことを思いやる利他の気持ち、常に有難う御座いますと感謝することは、どんな祝詞やマントラよりも遥かに強力な想念なのです。
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