朝鮮系の人々(在日コリアン)の問題について考える その一

過去のブログでも何度か言及しています通り、自分は若い頃から在日朝鮮系の人達と何らかの関わりがあったり、彼等が出版した本を何冊か読んだりしたという事を人生のいろいろな場面で経験してきています。


今でもSNS等では、メインは欧米系のブログを中心にチェックしているのですが、昔程ではないにしろ韓国や中国系のブログ等も時折見ており、現地で生活をしている人達の実際の生の声を訊くことを趣味の様に楽しんでいます。


今は韓ドラの人気も定着し、韓国のアイドルに憧れる若い世代も居たりして、韓国人に対する偏見などと言うものは特に女性の間では殆ど見られなくなりました。


しかし自分が未だ若かりし頃の日本の社会は、在日朝鮮系の人達に対する風当たりというのは、実際には今より遥かに厳しかったというのが正直な話なのですね。


自分が通っていた高校には、片親が半島出身の同級生(男性)が居りましたが、案の定、彼は不良の道に行ってしまいましたけれども、同級生の間では彼は「半チョン」と呼ばれていました。


これはある意味差別的な意図で朝鮮半島出身者であるという部分にフォーカスした言葉なのですけれども、当時の日本人には半島出身者の人達に対する差別的な意識が今よりもはるかに根強く残っていたというのが現実だったのです。


これは特に明治期以降の、日本と朝鮮半島の圧倒的な力関係の差がその様な差別意識に多分に影響してきたのだろうと思われます。


そういった意味では、今の在日3世や4世の人達の御両親やお祖父様お祖母様の世代は、日本社会のなかで相当苦労をされたのではないかと思います。


大学受験時の話になりますが、自分は早稲田大学のある学部を受験したのですけれども、おそらく人気があり受験者が多すぎた為なのでしょう、自分が受けた受験会場が国士舘大学に割り振られて、その大学のあまりの右翼的な雰囲気に当時驚いたという記憶が今でも鮮明に残っています(馬に乗った、当時の学長の写真が教室に飾ってあったり、トイレの落書きとかそれはもう右翼丸出しで凄かったですよ)。


自分の大学時代も、極右思想で知られていた国士舘大学は小田急線沿いにあったのですが、士館(国士舘)と朝鮮総連系の朝鮮高校との抗争は東京ではつとに有名でしたからね。
(朝鮮総連の大元である北の金王朝、あそこは自分に言わせれば国ではないですよ、国民は金正恩と軍上層部の只の私物ですから。未だに彼等の意にそぐわない者は即座に銃殺されたり、思想教育と称して彼等にとって都合の悪い者は強制収容所にブチ込まれたりしていますからね。)


士館生は新宿でもカラス軍団(予科練の様な詰め襟の制服からそう呼ばれていました)と呼ばれていてヤクザも避けていた程でしたが、朝高もそれに負けず劣らずメチャクチャでして、それはもう高校生のガキの喧嘩のレベルを遥かに超えていましたので、端で見ていて変な言い方ですが、彼等の抗争は東京の片隅の風物詩みたいなものでした。


自分が大好きな映画で、結構以前に演っていた「パッチギ」という映画がありまして、その映画には第一部と二部があり、一部の話は京都での在日の朝鮮高校の兄妹の物語なのですけれども、映画の最後の方に出てくる朝高と日本人学生の河原での抗争(乱闘)の場面があり、東京ではそれが士館と朝高で幾度と無く繰り返されていた訳です。
(なかなか面白い映画で、自分的には何と言っても第一部がお勧めです)


朝高の喧嘩の仕方を見ていると、朝鮮の人達は日本人に比べて遥かに感情の起伏が激しいということがよくわかりますので、日本人からするとその喧嘩のレベルはもう度を超えて目茶苦茶で、日本の当時の暴走族の不良達も彼等にはビビる程のものだったのですよ。


なので彼等に対抗出来るのは、士館生位しか無かったのです。


しかしこういった感情の起伏の激しさは、彼等の短所でもあり、また場合によっては長所でもあるのですが、自分は若い頃に幸いにして情緒の細やかな優しい在日の人達と沢山知り合う事ができましたので、この優しさは日本人には無い部分で見習わなければならないと思ったものでした。


要はこれは民族的な情緒の違いでして、彼等は、喜怒哀楽の全ての感情が日本人に比べて遥かにその振れ幅が激しいのですよね。


ですから彼等は良い部分をみれば、日本人と比べるとまるでラテン系の様な明るいノリの人が多いですし(大阪人が日本では彼等に似ているといわれています)、優しい部分についても本当にとろける様に心に響いて来る部分があるのです。


しかしウエット過ぎるあまり、日本人からするとズケズケとこちらのテリトリーに土足で入って来られる様に感じることがあるのも事実です。


要は、彼等にとっては親密になったらこちら側の人であり、甘えても良いみたいな感覚なのでしょうか。


そういえば話が戻りますが、ウチの大学の応援団が士館の援団に恐喝されていたという話が自分の在学中にあり、当時、自分の大学の応援団にはまるでヤ○ザのようなイカつい団員も居りましたから、アイツ等を恐喝するなんていったいどんな話なんだといささかビックリしたのですけれども、当時はプロのヤ○ザの人達には士館OBがゴロゴロ居ましたので宜なるかなという話なのですが。


大学時代の思い出については目茶苦茶面白い話が山程ありますので、別の機会にトピックを立ててまた書こうと思って居ります。


まだまだ続きます。












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