霊界探訪 霊的摂理を極める その十六 深淵を覗く者達 

久し振りにこのシリーズに帰って参りました、お待ち兼ねの皆さん、どうもお待たせ致しました。


霊的な摂理を皆さんにお伝えするのに、非常に示唆に富んだ言葉が有りますので、ここで是非ともご紹介させて下さい。


「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉は、ドイツの著名な哲学者であるフリードリヒ・ニーチェの著書、「善悪の彼岸」に登場する有名な警句です。


これは、怪物と戦う者は、己も怪物にならない様に注意しなければならないという文脈のなかで語られています。


その意味するところは、深く未知なるもの(深淵)と向き合うとき、その対象が自分自身に影響を与え、自分もまたその一部に変貌してしまう危険性があるということを示唆しています。


この言葉を目にした時、自分のなかにあるビションが浮かび上がって来ました。


このブログの読者の皆さんは既にご存知の通り、自分は過去世で宗教などの霊的な事柄に関わる人生を何度となく体現して来ました。


今世でも魂に刻まれたその癖性分は残って居て、未だ少学校の高学年の頃からこの世には魂の世界や霊界というものがあるのではないかと考え、そういった類いの本を中学の頃から読み漁ったりしていた、ちょっと変った少年でした。


ですから成人して社会人となってからも、幸いなことに自分には霊的素養(霊能)は有りませんでしたけれども、何時の人生の時代にも霊能者的な人や宗教絡みの人達が入れ替わり立ち替わり人生の断片に関わって来ていたのですね。


最初に皆さんにご紹介した、「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」というニーチェの言葉は、自分に言わせればまさに霊的素養のある者のことを言っているのです。


このシリーズでも前のトピックでお話しました通り、霊的な素養のある人達は生まれつき、若しくはある時期から突然霊的な眼が開眼して、霊界や霊人達と否応なしに関わることとなった人達のことを言うのですけれども、このニーチェの言葉は彼等にとって霊能者とは一体どうあるべきなのかという本来の姿、使命に対して指針を示し、また彼等に対して警鐘を鳴らしているのです。


それはどう言うことかと申しますと、霊人達と関わり霊界を覗く者は、そういった世界の負の部分、魔性の部分に決して取り込まれてはいけないということなのです。


重ねて申しますが、霊界というところは多次元構造になっておりまして、決して神的な存在だけが居る世界ではないのですね。


ある者は己の霊能を使って世の迷える人達を救済する為、霊的素養を以て人々を救済し導く宗教(教団)を立ち上げようとします。


最初のうちは彼も理想に燃えて、己の信ずるところを世に広めようと一生懸命人々に霊的摂理を述べ伝えようとするでしょう。


しかし、組織が段々と大きくなり、信者も増えて彼の周りにお布施という名のお金が集まり出すと、三次元世界での彼の生活が少しずつ物欲に取り憑かれていくのですね。


そして教祖が亡くなった後、息子や娘等の血縁者がまるで既得権益の様にその座を継承するのですが、なかには血縁者同士で争って内部抗争の様な状態になってしまう場合も有るのです。
(世間でいうところの骨肉の遺産争いみたいなものですね)


また霊能者と言われる人達も、人と違って自分だけ霊が視える、干渉される(憑依される)といった苦痛から脱却した後、きっと人の為にこの力を捧げようと固く誓うことでしょう。


しかし、世間で徐々に名前が知れて口コミで悩める人が引っ切り無しに訪れる様になったり、マスコミなどに取り上げられて知名度が出てきたりすると、最初の頃に誓った初志は何時しか忘れ去り、もっと知名度を上げて会員制にしようとする、相談者が殺到すれば相談料も段々と法外な値段になっていったりするのですね。


今回お話した二つの事例は、実際に世間であった自分が知る実話であり、残念ながら然程珍しい話でも無いのです。


彼等は何故その様になるのか?


先程お話しました様に霊界というところは多次元的構造になっていまして、我々と殆ど変わらないあまり高く無い次元もあれば、それよりも低い低次元世界もあるのですね。


霊能者がそういった世界の深淵を覗く時、さもすると低次元世界の魔に魅入られることが往々にして有るということなのです。


霊界というところは想念の世界ですから、霊能者の霊性の度合いやその時の想いに呼応して、幽界や低次元世界と繋がってしまったりもするのですよ。


ご本人はきっと、自分は神界と繋がっている、神様のメッセージを降ろしていると思っているのでしょうが、実際は違うという場合が非常に多いのですね。


そんな人達の行動を冷静に注視したり、彼らの想いを内観すれば、彼等がどんな人間なのかというのは容易に想像が出来ますし分かりますよ。


ニーチェの言葉を借りれば、霊界とつながった者が何時しか低級霊と呼応し、己自身も低級霊存在の住人になってしまうという場合があることに対して、決してそうならない様にしっかりと心せよ、と彼は言っているのです。


霊能者が何故その様な素養を以てこの世に生まれて来たのか?


それは、人の為のお役に立てる様に霊界(天界)より与えられたもの、というのが正解なのです!


しかし、霊能者、宗教者といえども三次元世界に生きる人間ですから、せめて生きていく為に糊口をしのぐ位の食い扶持は稼がねばなりませんからね、他に職業を持つとか常識の範囲であれば天界の叱責は受けないでしょうし、最悪カルマとなる事さえも無いでしょう。


今回のお話は、霊能者が霊的世界と関わる時、自分の霊性を貶めてしまうような負の部分に自ら手を染めてしまうことがあり、霊能というのは己を試す諸刃の刃ともなり得るのだということを皆さんにお伝えする為に今回のトピックをあげさせて頂きました。


これもまた、霊的な摂理の世間ではあまり知られ去る一面なのです。
































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