男と女が夫婦で居ることの意味とは
まず始めにお断りしておきますけれども、今回のタイトルが、男女が夫婦である事のみが必ず正しい状態であるということを言っている訳ではありませんので、どうか決してお間違えの無いようにお願い致します。
夫婦の形態はそれこそ千差万別でして、その数だけ無数のパターンがあると言っても過言ではないと思うのですけれども、ここではある架空の例え話を致しましょうか?
ある国のあるところに、とある夫婦が居たとしましょうか。
夫はどちらかと言えばアバウトな性格で、周りで起こる物事を深く考えないし非常に面倒くさがり、故にやること成すことがどちらかと言えば雑でそれをあまり気にしない性格だったとします。
それに対して妻は、性格や癖性分が全く真逆な人だったとしましょう。
その人は近年世間で知られる様になったいわゆるADHD的な、あらゆることに対してとてもこだわりを持った性格で、彼女の周りの現実世界が自分の想いとは違うことが多い為にどうしてもネガティブ思考に成り易く、生来の癖性分から自分が決めたやり方にどうしても固執しがちな性格なのですね。
要するに現世を生きるのにとても面倒な性格だと言えるのかもしれませんね。
自分は男性ですので、夫の目線からこの夫婦の場合を分析してみましょう。
このブログの読者の皆さんでご結婚されている方も沢山いらっしゃると思うのですが、夫婦に限らず人というものはそもそも魂が全て違いますので、癖性分や趣味嗜好、性格的な相性が殆ど一致するという事は滅多なことでは有り得ないのですね。
まあ稀に、二人がツインソウルであったという場合もあるやもしれません、しかしある人曰く、全く同じ価値観だからもしもそのような男女が夫婦になればとてもラッキーだと言う人もなかには居ますけれども、自分は果たしてそうなのだろうかといささか疑問に思うのです。
まあ確かに性格的な部分や価値観が完全一致するのですから、衝突することもあまり無いでしょうし一緒に居て楽かもしれませんよ、でも自分と全く同じ様な人と夫婦になったとしても、果たして楽しいのだろうかと思ってしまうのですね。
その様な相手であれば、考えていることも有る程度読めてしまうでしょうし、少なくとも刺激のある生活にはならないのは間違い無いところでしょう。
先の夫婦の例えに戻りましょう。
夫はズボラであまり物事を深く考えていない大雑把な性格なので、普段の生活もその様な行動パターンになるのでしょうが、妻が真逆な性格だったとしたらどうでしょうか?
自分のやることにいちいち気に入らないとクレームを入れられて、下手したらヒステリックにブチ切れられでもするとしたら、そりゃあ旦那はストレスも溜まるでしょうしやってられないと思うかもしれません。
しかし逆に妻の側からしても、結局は同じだと思うのですよ。
私はキレイ好きで物事をキッチリとやりたいし、整理整頓も小まめにして掃除洗濯も毎日しっかりとやりたい性分なのに、旦那はズボラで面倒くさがりだからだらしないし、やること成すこといちいち目について我慢がならないと思っていることでしょう。
そんな二人がしょっちゅうぶつかって頻繁に喧嘩をしていたら、それはもうお互いストレスも溜まるでしょうし、最悪の場合離婚という選択肢もあり得るのかもしれません。
ここでですね、このブログらしく二人が夫婦でいることの意味を霊的な観点から視てみましょうか。
肉体を持った三次元的な意味で言えばこの二人は全く真逆と言ってもよい性格ですし、男女差の脳の構造や思考回路も全く違う、毎日何かしら衝突しているとストレスもだんだんと蓄積してくるでしょう、果ては何で自分はこの人と一緒に居るのだろう(居なければいけない)かと疑念が沸々と湧いてくるかもしれません。
ごく普通の夫婦の場合であれば、そこまで価値観が違えば離婚という言葉がどちらかともなく出てくるのかもしれませんが、そこで踏み留まる人もなかには居るのですね(その人の我慢強い性格的な部分もあるやもしれません)。
自分とは真逆で、いちいち価値観も違うし結構な頻度で衝突してしまうこと、これはですね、魂から言えば至極当然な成り行きなのです。
相手は自分とは違う魂ですので、お互い辿って来た魂の経験値も全く違いますし、性格や価値観、思考の相違でぶつかったり時には喧嘩になったりするのは至極当たり前のことなのですね。
では何故そんな相手と夫婦で居る(一緒に居る)意味があるのか?
それは、その様な相手と一緒に暮らすことで自分自身の魂が炙り出されて来るのです。
相手は自分を映す鏡であるとは良く言ったもので、真逆の魂の相手を通して、自分自身の魂そのものが三次元の意識により一層浮かび上がって来るのです。
(魂に刻まれた潜在意識に隠された部分もです)
それはお互いの魂がぶつかることを通して、己の良い部分や欠点(ネガティブな部分)というものが炙り出され顕在意識として本人に認識されるのですよ。
そこまで来たら、自分の直すべきところもハッキリと自覚出来るでしょうし、自分とは全く違う相手のことも受け流す、出来ることなら認める、そしてそんな相手を受け入れて許すことが出来たならもう最高でしょう。
でもね、よくあるカタチの離婚するというパターンも決して駄目ではないですよ。
相手のことを許すまでの境地になるということは、並大抵の忍耐や努力では済まないですからね。
また違う人と御縁が出来て再婚することにでもなれば、良かれ悪しかれまた違ったカタチの別の学びというものがそこには生まれる訳ですからね。
何度もお話ししていますが、此の世で肉体を以て人生を歩むということは、ひたすら人間の本質的な部分である魂の学びの為だと言っても決して過言では無いのです。
もしもご夫婦や恋人同士で、相手の性格や行動に日々ストレスを溜めていらっしゃる方がみえましたら、今一度視点を変えて何故自分とはこんなにも違うのだろうかとじっくり観察されてみたら如何でしょうか(笑)。
その先にきっと答え(解決の道)が見つかることでしょう。
終わり。
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