特別寄稿 学歴偏重社会について考える 前編
(このブログを始める前に、前回のブログの補足を少しさせて頂きます。)
仏教については、今までの葬式仏教のような如何にも三次元的なかたちのものはこれからますます廃れていくでしょう。
そして仏教に限らず他のいろいろな宗教についても、三次元の制約という価値基準から解き放たれて、それぞれの宗教の霊的な本質が顕現していく事になるのでしょう。
それぞれの宗教の垣根が取り払われていくということは、霊的な摂理、神の摂理のもとに分離した状態であった宗教が、まさに一元化していくということに他なりません。
これからの時代、そういった傾向はますます加速化していくでしょうし、既存の三次元的な価値観に囚われた宗教はますます形骸化していき、段々とその体を為さなくなって来ると思われます。 (以上)
今回はある男性の話をネットで見まして、イレギュラーですがどうしてもブログに思うところを載せたかったので、急遽投稿させて頂きました。
その男性は中学卒業後、初めてアルバイトの面接を受けたのですが、中学三年の時の高校受験時に、家庭の事情で高校には進学しなかった為に働くことになったそうです。
その会社での面接時、履歴書の欄を見た三人の面接官のうちの一人から信じられない言葉を彼は言われました。
その面接官の一人は笑いながら 「この学歴社会の世の中で、中卒で生きていけると思ってるの?」と。
人を馬鹿にしたような態度をとる面接官に対して、さすがに他の面接官が注意をしてくれたそうですが、その面接官は態度を改める様子もなく、小馬鹿にした態度を取り続ける面接官に対して彼はどうしても我慢がならず、「たとえ良い大学を出ても、あなたのような人間のクズみたいになるんですね」 と捨て台詞を残してその場を立ち去ったそうです。
自分に対して有り得ない態度を取った面接官に、そのように言い返してはみたものの、面接の帰り道で遣り場のない虚しさに襲われて涙が溢れてきたそうで、そのことは二十年経った今でもハッキリと覚えていると彼は結んでいます。
彼が悔しくて涙を流したのは想像に難くはありませんが、世の中には残念ながら彼を嘲笑った面接官の様な人達が一定数居るように思います。
自分のイメージではある程度の学歴の、特に男性により多いように感じますが、自分が大学野球でかかわった東大(や京大)の様な飛び抜けた学歴の人達からはそういった素振りはあまり感じたことはなく、中途半端な学歴の輩に限ってマウントを取るためにその様な価値観を振りかざす人がいて、これは結局は自分のコンプレックスの裏返しであると言えるでしょう。
確かに職業によっては極めて専門的な知識を要する職種も有りますので、就労の際に学歴を求められるという事も場合によっては多々あるでしょう。
しかし彼の場合の面接の状況では、決してその様な事を求められている訳ではないと判断出来ますので、彼の事を嘲笑った面接官は学歴に片寄った歪な価値観で人のことを判断したということになります。
ただ、自分は一生懸命に勉強をして難関大学に合格した人を、決して否定的にみている訳ではありません。
自分の親戚筋にも旧帝大のしかも理系卒の人がいまして、理数系の苦手な自分からしたら本当に雲上人のような感じで、受かる事自体凄いことだと思います。
しかしいったい何故、世間ではこの様にあまりにも学歴に偏った価値観の風潮が蔓延っているのでしょうか?
ここでひとつ自分のことについて語らせて下さい。
自分はいわゆる地元では進学校と言われる学校に通っていましたが、前述の通り理数系、特に数学は苦手でからきし駄目でした。
今考えると嘘のような話ですが、このブログは真実を書くことを旨としていますので敢えて恥を忍んで書きます、例えば教科書の数学の問題を解くのではなく、数学の得意な連れに解いてもらった計算式を丸暗記していたという信じられないような事を試験がある度にやっていました。
(意味がわかりますか?問題を公式などを使って解くのではなく例題の計算式を必死に暗記していたということです)よくぞまあそれで学校を卒業出来たものだと今更ながらに思いますが、事実一度だけ二年の時の数学で赤点に引っ掛かってしまい本当に落第しかけた事がありました。
これをマラソンで分かりやすく例えるなら、毎回のレースが常に下位集団で一度は危うく棄権しかけたという話です。
三年間ずっと最後までその様な調子でしたので、学年主任だった数学の教師には何かと覚えめでたく(笑)、彼からしたら非常に面倒臭い、教え辛い生徒だったことでしょう。
いろんな意味で、その先生には大変可愛がって貰いました(笑)。
この話は続きます。
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