愛知県江南市 フラワーパーク 春の景色 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 13, 2023 今回、愛知県の江南市にあるフラワーパークへお邪魔致しました。ちょうど新緑の季節で春の花も咲き誇り、今は一年で一番見頃な時期なのではないでしょうか。 駐車場は東と西に二箇所あり、とても広いので車を停められないということはまずありません。公園の敷地面積も非常に広くて散歩も出来ますし、とても整備されていてなおかつ無料入場、知る人ぞ知る穴場スポットで自信を持ってお勧め出来ます。今が絶好の見頃な時期ですので、仕事に少し疲れた方、ちょっと家事の気分転換をしたい方はどうぞお立ち寄り下さい。 きっと癒されること請け合いです。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
霊界探訪 霊的摂理を極める その四 魔界へ堕ちた魂の末路 12月 24, 2025 この世が何故魂の学びの場になるのかと申しますと、皆さんの周りの出来事や外国の状況を注意深く見て頂ければお分かりの通り、我々が現在住んでいるこの三次元の世界、特に海外の状況は本当に混沌とした状態になっています。 日本人というのは霊性の点に於いては、世界の人々からすれば未だ波動が高い民族でありますかので、社会がさほど混乱した酷い状態という訳ではありませんけれども、それでもやっぱり人を陥れて金儲けをする輩や、平気で悪事を働くような魂が真っ暗な連中も中には居るというのが現実なのでしょう。 世界の大多数の国々では、日本とは違って人を騙したり人のものを盗んだりすることはごく当然のように行われていますから、それは三次元的な我欲にとらわれた低レベルの魂の人がそれだけ沢山居るということなのです。 現実世界はそのような人達もいれば、稀に崇高な想いを持った人達も居り、また転生を繰り返しながら因果の輪廻を体現している人達も居ります。 この世界というものはまことにいろいろな人達と交わり、また干渉されながら生きていくという、まさにそれぞれの魂の学びの段階により、使命や因果が複雑に絡み合ってお互いが切磋琢磨しているのです。 それからネガティブな想いに因われた人達、我欲にまみれた人、妬みやそねみ、執着、嫉妬、怒り、絶望、悲嘆などに凝り固まってしまった人や自殺をした人達、彼等もまた亡くなった後は成仏出来ずに現世に留まってしまうことが多いのです。 負の想念に囚われて現世に執着してしまった霊達が、未浄化霊となってこの世界の彼方此方に留まっているのですね。 そんな不成仏霊でも、生きている人間に然程影響せずにただそこいらを漂っている浮遊霊(死んだことを自覚していない霊)や、酔っ払った人に取り憑いて自分も飲んで(想念的にですよ)満足しているような霊達は、然程悪さをする訳ではありませんので大したことは無いのですね。 しかし、なかにはとんでもないたちの悪い霊が居りまして、本人が自殺した後も人に取り憑いて自殺させようとしたり、取り憑いた相手が不幸になるのを喜んでいたりする様な悪霊化した不成仏霊も居るのですよ。 そういった霊達は下手をすると悪い想念が引き合って集合意識のようになり、悪霊団と化す場合もあるのです。 その様な霊が溜まったところにたまたま家を建てたり、悪い気(瘴気)の霊道にマンションを造ったりしたら、そこに... 続きを読む
東白川村「つちのこの館」& 中津川市「付知峡」 5月 26, 2026 岐阜県加茂郡の東白川村というところは、移住先の白川町の直ぐお隣に当たり、岐阜県で下から二番目に人口の少ない自治体なのです。 この村は観光の目玉として「つちのこ」を前面にアピールしており、村を横に横断する幹線道路沿いには「つちのこ資料館」も有りまして、道の駅、東白川茶屋ではつちのこ饅頭が売られています。 駐車場にある階段を少し降りて行くと、村の中央を流れる白川の直ぐ際まで行くことが出来ます。 「つちのこ館」を後にして、お次は中津川市にある付知峡へ行ってきました。 月曜の平日にも拘らず、名古屋などからの車が結構駐車場に停まって居り、若い人達が沢山いましたね。 不動の滝へ続く道、階段は場所によっては急ですが手すりも有り、滝までの経路も然程長くありませんので、足腰の悪いお年寄りの方でない限り大丈夫でしょう。 不動の滝、すぐ近くで見ることが出来、滝の飛沫も掛かってとても気持ち良かったです。 吊り橋、少し揺れて怖かったです(笑)。 もう一つの滝。 吊り橋は二箇所ありました。 午後は友達と待ち合わせ、白川茶屋で昼食を頂きました。 岐阜は鶏ちゃん(けいちゃん、鶏肉と野菜を味噌などで炒めた料理)が有名なのですが、白米が売り切れということで残念ながら食べられず、味ご飯定食を頂きました。 続きを読む
霊界探訪 霊的摂理を極める その十一 この世に生まれるということ 3月 13, 2026 今回自分は念願叶って、日本人として生を受けることが出来ました。 誠に幸いなことに両親は本当に素晴らしい人達で、既に亡くなってしまいましたけれども、今の自分が在るのは両親のお陰なのだとつくづく感謝の念に堪えません。 今振り返ってみると、人生には本当にいろんなことが起こりました。 人に騙されてひどい目にあったり、自分でとんでも無い失敗を犯したりしたことも有りました。 しかしそれもこれも魂がこの肉体を纏ってあらゆる事を体現しているからなのですね。 自分はこのブログでお話しています様に、世間には視えないことを知ってしまった人間ですから、何故今を生きているのかという事もちゃんと理解しては居ります。(過去世でも既に知っていたのでしょうが) そして生きていくうえで、魂に刻まれた性分や癖というものが生き様に時折顔を覗かせて、周りの人達と時にはぶつかったり、逆に(男女の仲だけではなく)相性となって惹かれ合ったりしているのです。 そのようにして複雑に織られた糸のように、沢山の糸たち(人達)との関わりを紡いでいるのです。 また、魂が過去生で刻んできた生き様によって作り出したカルマというものも、今世の長い道のりの克服しなければならない試練として人生に刺激的なスパイスを与えていたりするのです。 それは本当に、オギャ〜とこの世に生まれてからこの方、毎日毎日の積み重ねが人生の大切な経験となって魂に刻まれているのですね。 およそ人というものは、時には喜びや悲しみ、また苦しみのなかで葛藤しながら生きていく者なのです。 己の人生で善と悪、光と影の狭間のなかで、毎日あらゆることを体現しながら肉体が滅びるまで生きていくのです。 その狭間の体現こそが葛藤を生み、時には御身や心のなかで魔の手にその身(魂)を委ねてしまったり、また時には辛くて生きることを諦めてしまったりするのかも知れません。 しかしその狭間のなかを喜びや愛で満たされながら、またある時は人生をもがき苦しみながら、ある人は魔の淵に陥りそうになりながらも生きていくということこそが、この世を人が生きるということなのでしょう。 そして輪廻の輪から抜け出して魂の世界へと還って逝く人達、別の惑星(霊界)次元へ転生して行く人達、またある人はまたカルマをつくりながら、次の別の人としての人生を織りなして行くのでしょうね。 あなたがこの世を生きるということはそういう... 続きを読む
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