特別寄稿 学歴偏重社会について考える 中編

今になって冷静によくよく考えれば当然の事なのですが、進学校というものは自校の生徒を如何に偏差値の高い国公立大や医学部、有名私大に送り込む事が出来るのかが進学校としての使命であり、その高校の存在意義な訳です。


自分の出た高校は私立であったので、経営的な面からいっても優秀な生徒に受験してもらわねばならず、尚更その傾向は強かったのでしょう。


自分が学校でかかわった先生方には、本当に教育者として素晴らしい人格者といえるような人もみえましたが、なかには露骨に優秀な生徒を贔屓にして、勉強の出来ない生徒をバカにする様な態度を取る教師も居りました。


要は成績で生徒のことを値踏みしているという空気が、少なからず学内にはあったという話です。


それと受験のために特化した授業のカリキュラムが組まれており、夏休みも半分以上が補習授業で潰れていました。


今みたいにエアコンなど普通に有るような時代ではありませんでしたから、真夏の授業中はダラダラ汗を掻きながら、特に昼食の弁当を食べた後の午後の授業などはボーッと薄れていく意識のなかで、眠気と闘いながら授業を受けていたのを今でもハッキリと覚えています。


入学してから暫くして、すぐにそういった成績偏重(成績優秀者が正義であるかの様な価値観)、受験重視に偏った校風がみえてきたので、自分はこの学校の雰囲気にはどうしても馴染めないと感じ、入るべきではなかったと正直後悔しました。


それに比べて自分の姉が通っていた公立の地元の高校は、髪型や服装等の規制もどちらかといえば緩く、勉強はできるけれどもクラブ活動なども自由にやっていたという緩い校風が有りました。


絶対にそちらの学校のほうが自分の性分には合っていたなと、後になって気付いたものの時既に遅く、ダブってまでして再受験するのは親に経済的な負担や心配をかけることになるので、その様な選択肢は流石にありませんでした。


そもそも理数系の科目、特に数学ががまるで駄目だったので端から国公立や医学部は受験対象外だったし、前述の通りで学校の雰囲気にもなかなか馴染めず、いつしか勉強は試験前に付け刃でやる程度で殆どしなくなり、当時流行っていたプログレッシブロックにハマって、文化祭等で教室で大音量で音楽を掛けたりして仲間と同好会のように集って楽しんでいました。


そんな訳で、大学受験も三年の冬にやっと真剣にやり始めた位ですから、当然の如く第一志望の大学は二学部受けるも全敗、同じ野球リーグの別の大学を滑り止めに受けたらそちらのほうは何とか全勝しましたので進学することとなりましたが、その学校がまた入ってみたらとんでもないカオスな学校で、信じられないような面白い話が盛り沢山あり、いつかブログに書こうと思っております。


最後にひとつネタを投下しましょう。


自分の通っていた学校は試験の度に成績優秀者が発表されるというシステムがありました。


実は自分は入学して最初の試験は三十番以内に入り、周りの皆はコイツ見かけによらず頭良いなと思われていたらしいのですが(笑)、その次の試験では何と百八十二番(確か全校生徒は二百十八人)、蒲田行進曲の階段落ちも真っ青のバンジージャンプ並の落ち方で、さすがに親が担任に呼び出され、「私は長年教師をやっていますが、こんな落ち方をした生徒は今迄で見たことがありません! ご家庭で何かあったのでしょうか?」と先生に真顔で言われたと親が話してくれました。


普通の親であれば怒ったりするのでしょうが、自分の親は別にそのことについてはあまり気にする素振りもなく、先生に問い詰められたので困ってしまったと笑っておりました。


その話を聞いて、そうか、自分は逆な意味でこの学校に名を残したんだと何だか嬉しくなりましたが、はてさて、あれ以来自分の記録を破った猛者は果して現れたのでしょうか?



後編に続きます。





















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