映画「アイ・アムまきもと」 人にとって本当に大切なこととは?
この映画は、かいつまんでお話しをしますと、庄内市役所の「福祉課、お見送り係」に勤める牧本という市の職員が、身内にも見捨てられたり孤独死をした人達を自費で葬儀をあげて、お見送りをするという内容なのです。
庄内市役所に勤めているというストーリーですから、山形県庄内平野の架空の市が映画の舞台となっているのですが、庄内平野のそれはもう美しい景色が何度も画面一杯に出てきてとても癒されます。
彼は、天涯孤独で身寄りの無い人や、身内に葬儀や面会を拒否され御骨さえ取りに来ない人達に代わって、誠実にその役割を果たしていきます。
この映画にはオリジナル版がありまして、イギリス映画の「LAST TIME」(邦題、お見送りの作法)という映画がその元となっており、基本的にはそのストーリーを日本版もあらかた踏襲していますけれども、このイギリスと言う国は、日本とは違ってスピリチュアリズムの総本山とも言える様な国であり、一般の人達にもその概念が広く受け入れられているのですね。
例えばこのブログの読者の方に、幽霊の存在を認めますか?と言うアンケートを取ったとします。
残念ながら、おそらく多くの方がそのようなものは居ない、と答えることでしょうが、イギリスでは幽霊が出るという評判の物件(古い家)などは、人気があって逆に家賃が高かったりするのです。
日本の場合、事故物件は大家が家賃を下げないと気味悪がってなかなか入り手がありませんし、幽霊が出ると言う評判の立ってしまった家には誰も恐ろしくて入りたがらないでしょう。
(過去のブログにも書きましたが、自分の父親も若い頃不動産業をやって居りまして、何だか嫌な感じのする物件には絶対に手を出しませんでしたからね)
この違いは一体何故なのでしょう?
この日本では、大方の人にとって幽霊というのは現実の世界では理解の出来ない、得体の知れない不気味な存在として捉えられているのに対して、彼の国イギリスでは、霊的な存在自体がが日本人よりも普通の人達に広く浸透していますので、人の延長線上に霊的存在が在るということを彼等はわかっているのでしょう。
ですからこの映画の原作者は、霊的な摂理についてちゃんと理解しているが故にこの様なストーリーを作ったのでしょう。
映画の中でも、新しく着任した市長が牧本さんに向かって「人間死んだら終わりだからお前のやっていることには何の意味もない、その様な無駄な課は即刻廃止する」と言い放っていますけれども、自分に言わせれば何も分かっていないのは市長の方で、衝撃のラストはこれはもう、フィクションでもなんでも無く、思わずもらい泣きしてしまいました。
人の本質である霊的な眼で観ても、牧本さんの誠実極まりない行いには全てに意味があり、彼の行為はちゃんと報われていたのです。
牧本さんは、肉体を纏ったこの世界の外側には(霊的な)想いの世界が在るのだということを、彼なりにハッキリと理解していたのですね。
主役を務めました安倍サダヲさんは、自分は飄々とした演技が大好きな贔屓(ひいき)の俳優さんでして、今回はなるべくネタバレをしない様に書いたつもりなのですけれども、映画「アイ・アムまきもと」は、未だ数年前の映画ですので何処のレンタルショップでもきっと置いてあると思います、ご興味のある方は是非一度お店へ足を運んでご覧になってみて下さい。
(個人的に強いて言えば、どちらかと言うとオリジナルのイギリス版が好きなのですけれども、何せ10年以上前の映画なのでもうレンタルショップには置いて無い可能性もあります、ストーリー的には基本同じですが、日本版のほうが脚色されていて若干長いです。
あと、「ラストマイル」で好演した満島ひかりさんと(この人、クォーターで、イタリア系アメリカ人の父親の血筋かと思いきや、日本人の母親ソックリなんですね)、何と、あの「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」の宇崎竜童が重要な役でチラッと出ているのがミソです。)
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