人は何故此の世に生まれてきたのか? 絶対普遍の霊的な摂理のお話
今回は霊的な摂理についてのお話なのですが、人生を生きるうえでとても大切な手掛かりともなりますので、どうか皆さん、是非とも御一読なさって下さい。
人は何故此の世に生まれてきたのか?という問いに対する答えは非常に複雑でいろいろな答えがありますけれども、一つの明快な理由はハッキリしているのですね。
魂というものはそれこそ百人百様であり、すべての魂には此の世に生まれてきた意味というものがそれぞれに必ずあるのです。
ですから、それぞれの人達の人生というものも、生きる意味や使命、克服しなければならない課題(カルマ)というものが複雑に絡んで、各々の人生の体現として生きていくということになっているのです。
しかし、どんな人達にも共通する真っ当な魂の生き方という物があるのですよ。
およそ人というものは、自分だけの為に生きようとすると人生が段々と歪んでくるのですね。
それは何故かと申しますと、自分のことだけに拘って生きるという事は、ややもすると我欲の道に繋がるものがあり、それを追い求める人生を歩んでいると魂の昇華の道程からだんだん外れていく事になりかねないのです。
ある人はそこでハッと気付くことでしょう。
そんな人生が虚しくなってくることに。
人生で大きな成功をおさめた人が、突然人の為のボランティアを始めたり寄付をするようになるのは、どんなに三次元の世界で全てを手に入れたと思っても、ある時彼はそこで何かが足りないと気が付くのですよ。
三次元的にどれだけ満たされたとしても、それだけでは決して心(魂)が満たされないということに。
では彼の人生には、いったい何が欠けていたのでしょうか?
それは人に尽くすということです。
これがなかなか難しいことでして、人というものはどうしても己の欲望や我欲というものにとらわれて、優先してしまいがちなのですね。
例えば恋愛感情について考えてみても、嫉妬は愛のいち表現だという人が居ますけれども、嫉妬はややもすると相手のことを独占したいという感情に繋がるものであり、一方的なエゴにすり変わる可能性がある、つまり自分の我欲の行使だけのために相手のことを支配したいということにもなりかねず、そこには相手のことを思いやる気持ちが欠片もないのですね。
また、好きなものを食べることをやめられない人というのは、その食欲というものと太るということの正比例する厄介な難題を常に抱えている訳ですが、その欲望を抑えて身体に良い食べ物を腹八分目で食べるようにすれば、健康の面からも全く違う人生が見えてくると思いませんか?
己の事(我欲)だけではなくもう一歩考えを進めれば、貧しさで毎日満足に食べられない人達が世間には居るということに思い至るでしょうし、そういう人達を少しでも助けたいというボランティアの気持ちが目覚めるのかもしれません。
人は自分の我欲だけの為に生きてもいつかは虚しくなるのです。
魂の摂理というものは、誰かの為のお役に立つという利他の思いがなければ満たされなくなくなるものですし、それを実行することによって魂の充足が得られるのですね。
それをある人は天国貯金と言いますが、貯金するのは現世のお金ではなく行った行為(徳)なのです。
たとえどれだけ徳を積もうとも魂の摂理に適っているのですから、決して飽きることもありませんし、天国貯金をすればする程その人は幸せになっていくのですね。
その道程が魂の昇華へと繋がるのです。
人は魂が肉体を纏うために此の世に転生し、三次元世界を生きているのですけれども、この世界だけがすべてであり死んでしまったら(肉体が滅びたら)それで終わりという考え方は、如何にも刹那的であり短絡的な人生に陥りがちだと思うのです。
人生どうせ死んだら終わりだったならば、欲望のままに生きて好き放題の人生を歩めばよいという生き方をしている人達が、世界中を見渡すと如何に多いことでしょうか?
彼らの多くは物理的な三次元の世界しか見えていないし、死後の世界(本当の魂である人の世界)があるなどということは頭の片隅にも無いのですよ。
だから好き放題で悪い事も平気で出来るのです。
しかし、少なくとも我々日本人は違いますよ。
八百万の神々が日本にはおわしますし、神様(自然の摂理、すなわち万物である創造物)はちゃんとわれわれを見てみえる、そしてご先祖様と自分達は連綿と繋がっているということを何世代にも渡って魂に刻んで来たでは有りませんか?
魂の存在があるのだということをしっかりと認識した人達が、この時代の大変重要な変わり目の中で確実、しかも着実に増えているのです。
霊魂は決して死なず、幽体となって幽界へ帰り、やがて魂となって人本来の霊界の住人となるのです。
そしてある時期が来ると、ある人達はこちらの世界へ転生して、肉体を纏って魂の修行を繰り返すのです。
霊界というものは想念の世界であり、魂の想いの世界とも言えるのです。
ですから、霊的な摂理にかなった人を思い遣るという利他の気持ち、愛を以て人に接することが何よりも大切なことなのですね。
その様に生きればその人の人生は、愛に満たされてとても幸福であったと死ぬ間際に思えることでしょう。
終わり。
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