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7月, 2024の投稿を表示しています

安心、安全な食材を探す旅

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今回の目的のメインはオーガニックのココナッツクリームを探す為でして、以前、家の近くの業務スーパーで二缶だけ残っていたものを買い占めたのですけれども、タイカレーを作るのに全て使ってしまったため、他のお店迄わざわざ遠征をしたのです。 何と! その行ったお店では10缶も残っていましたので、嬉しさのあまり全て買い占めさせて頂きました。 家の近くの業務スーパーではなかなか再入荷しませんでしたから、どうも単発商品っぽい気もしましたので、残念ながら下手するともう入荷しないという可能性もあります。(業務スーパーでは結構あることみたいです) これはスリランカの商品でして、有機ココナッツクリーム100%、添加物一切無しの安心なものなのですが、他の同じ東南アジアのものは全て変な添加物が入っていましたので、これで当分の間はやり繰りしようかと思っています。 容量は400ml入でり税込み220円位でしたから結構安いと思います。(これで3〜4人前はタイカレーが作れますので、コスパ的には最高です) これと一緒に本格的なタイカレーを作る為に必要なのは、タイのマサマンカレーペーストです。 当然ながら天然由来の材料のみで、400g、約30皿分のカレーが作れますから、コスパ的にはとてもお値打ちです。(値段は忘れましたが然程高くはありませんでした) タイのカレーペーストは辛さの順にグリーン、レッド、イエロー、マサマンの四種類があり、グリーンとかは滅茶苦茶辛いもの好きな人なら買っても良いかもですが、一般の味覚の人は絶対に止めておいたほうが良いですよ。 岐阜市の柳ケ瀬商店街にあるタイ料理の「ポーヤイ」というお店で、一度本格的なタイカレーを食べたことがあるのですが、あんなものとても食べられないですよ。 インド料理に慣れているような自分でさえ一口でギブアップするような辛さでしたから、タイ人のコックさんに辛すぎて食べれないと泣きついて作り直して貰いました(笑)。 これもタイカレーを作る時の隠し味に入れる、ベトナムのニョクマム(タイではナンプラー)で、所謂魚醤というやつです。(使用済みですみません🙇) 魚醤は独特の魚の臭みがあって不得意な方もみえるみたいですが、この味に慣れるとなかなか病みつきになります。 原材料はアンチョビと食塩のみ、こういった

一宮七夕祭り

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さて、梅雨もようやく明けまして、今では世界的にも有名な日本の地獄のような夏がやって参りましたが、夏といえば一宮では七夕祭りの一大イベントがあります。 自称、「日本三大七夕祭り」と称しているみたいですけれども、ハッキリ言いまして仙台や平塚の様な派手さは残念ながらありません! しかし、継続は力なりの言葉があるように、来年で一宮の七夕祭りは70周年を迎えるのだそうです。 そもそもこの一宮というところが、昔から繊維が地場産業で栄えていた関係で、織姫と彦星のお話の由来のある七夕を祭りとして採用したのでしょう。 今回も、岐阜の移住先の白川町で土曜の午後までリフォームをしていましたので、此方へ帰ってきたのは15:00をとうに過ぎていましたが、街中のホームセンターへ足りなかった塗料を買いに行ったついでに、本当に久し振りに七夕祭りを見てきました。 真清田神社正面広場。 久しぶりに来てビックリしたのが、道路上にテキヤさんの屋台が全く無くて大きな駐車場に固められていた事でして、おそらくは道路交通法上は本来違法だったのを慣例的に認めていたのでしょうが、歩道も狭くなって危ないということで全面禁止にしたのでしょう。 しかし真清田神社の境内では屋台も沢山出ていました。祭りはやはりこうでなくちゃ! 本町アーケードの飾り付け。 一宮駅ビル、なかではイベントもやっている様です。 駅前のロータリーでは夜の7時から盆踊りをやっています。 一宮市役所西庁舎(オリナス一宮)でもイベントをやっている様で、休憩所にもなっています。 中の様子、良い雰囲気ですねぇ。 奥にあるにぎわい広場ではフードカーが沢山出店していて、沖縄の生ライブを演っていました。 真清田神社西隣のスポーツ文化センターでもライブステージがあるようです。 本殿の様子。 本殿東隣りにある縁結びの服部神社。 真清田神社最強の龍神さん、数十年前にお世話になりました、この龍神さんの祠はお隣の池に有ります。

地球という星について考える その二 地球の存在意義とは?

今回のお話は、一般的な常識レベルのみで生きて来られた方達にとってはいささか荒唐無稽な話かもしれませんが、へぇ、そんな話もあるんだ位の軽い気持ちでどうか読み流して下さい。 前回もお話しました通り、この宇宙というものは多次元構造になっていまして、我々が住んでいる地球もまた多次元構造になっています。 そもそもこの地球の霊長類の頂点に立つ我々人間が、実は霊的な摂理のままに多次元構造の中で生きている訳ですから、地球という星も全く同じ摂理の中に存在しているのですね。 我々人間は肉体を纏って存在しているのですけれども、その内には秘めたる魂が内在しており、その然るべき本来の姿というものは霊体なのです。 何故そのようになっているのかと申しますと、肉体という借り物を仲立ちとしていろいろなことを経験、体現することにより魂を成長させる(昇華させる)為なのです。 その魂を成長させる一番の原動力となるのは、人の想いです。 この魂の成長の過程は地球へと還元されていきます。 人間の肉体と魂との関係性は、実は地球という星と我々人間の関係と同じなのです。 おそらくこの地球にあるすべての砂粒を数えても、それより比較にもならない程遥かに多くの星が宇宙にはあると思うのですが、果たして地球と同じ様な条件の星はいったいどれだけ存在するというのでしょうか? それ程地球という星が宇宙に在るというのは、奇跡的といっても決して大袈裟なことでは無いのです。 因みに、多次元まで含めれば高次元の宇宙存在は結構居ると思うのですが、彼等もこの地球がこれからいったいどうなっていくのかを興味を持ちつつ、固唾を飲んで見守っていることでしょう。 (果たして人間の霊性が上がって地球の次元も将来的に変わることが出来るのか、はたまた何度も繰り返してきたようにリセットとなってしまうのか?) ですから実はこの地球という星はただの鉱物の塊などではなく、一種のエネルギー体(意識体)の様な存在なのですけれども、地球の使命というものは我々人類だけではなく地球から生まれたすべての存在、森羅万象を含めて成長させることにあるのです。 先程お話した人間が肉体を以て魂を成長させるように、地球もまた我々人間だけではなくすべての生き物達に成長させるためのエネルギーを送っているのです。 では、何故この宇宙に地球という星が存在し、そこに人間が存在しているのでしょう? 自分

地球という星について考える その一 UFOの次元

この宇宙というものは、現在の定説ではビッグバン以来猛烈な勢いで膨張し続けているそうでして、その膨張スピードは何と光速(無重力状態で1秒間に地球を七周半)を遥かに超える勢いで広がっていて、その宇宙の外側には一体何があるのかということは分からないというのが、現在の科学者達が出している答えの様です。 この気の遠くなるような広大な三次元宇宙からすれば、ほんの片隅のまるでチリのような太陽系というところに、我々の地球という星が存在する訳です。 ここでハッキリと言っておきますが、自分は典型的な文系脳の人間ですので、宇宙理論物理学については全くの門外漢で素人も同然なのですけれども、おそらく自分の考えと同じ様な定説を唱えてみえる宇宙物理学者の方もきっとみえることと確信しています。 霊的な摂理のことを理解している自分の認識では、この宇宙というものは多次元構造になっていてその相似形として我々が今住んでいるこの地球やその他の星についても全く同じこと(法則)が成り立っているのではないかと思うのです。 皆さんが、ご自分の周りの物や視認できる景色や環境、ひいては今我々が住んでいる日本という国がある地球という星を、皆さんの肉体の五感で認識なさっているのと同じように、自分にとってはそれが厳然たる事実なのです。 自分の昔の友人でちょっと変わった人がおりまして、その人の周りでは物(物体)が突然消えたり、ある物は場所を急に移動して全く違うところから現れたりすることがあると言うエピソードを自分に話してくれたことがありました。 自分の嘗ての愛読書であった佐藤愛子先生の著書、「私の遺言」でも、実際に彼女はポルターガイスト現象として、移住先の別荘でそういった事を何度となく体験したと書いています。(そこに書かれた内容は、にわかには信じ難い様な実体験のオンパレードですが、勿論これはノンフィクションです) 米軍がその存在を公式に認めるなど、最近ようやく世界的に現実として認識されるようになってきた未確認飛行物体、所謂「UFO」についても、三次元的な存在としてのみ捉えようとすると辻褄が合わなくなるのであって、あれは実際には多次元世界の物体であると考えれば物理的に筋が通るのですよ。 仮に三次元世界からの飛来物体であったとして、いったい地球からどれ程離れればその様なの高次元の宇宙存在が居るというのでしょうか? そもそもその様な

夢について考える その九 人が死ぬ間際に見る夢とは 

今回の章を始めるにあたって、前フリ的なお話を少しさせて下さい。 皆さんよくご存知のコロナ騒動については、これはこれで突っ込みどころ満載の茶番だったということが(日本を除く)世界では段々と暴露されて来ている様ですが、この世界を巻き込んだ大騒ぎを霊的な見方で捉えると、いささか困ったことになっているのですね。 それはいったいどう言うことかと申しますと、コロナに罹患して亡くなった方や、ワクチンの接種により身体に不具合を起こして急に亡くなってしまった方達のなかに、魂が浮かばれない状態の方が結構みえるということなのです。 つまり、亡くなった方達の魂が本来帰るべきところに戻らずに、不成仏霊の様な状態になっているという事なのですね。 何故そのようになってしまったのかと申しますと、コロナやワクチン接種で亡くなった方達のなかには、容態が急変してあまりにも突然に亡くなってしまった方が多かった為に、ご本人が自分が既に肉体が無くなっている(死んでいる)という自覚を持つことが出来ていない人がみえるという事なのです。 これは一般的にも意外と有り得るお話でして、人間は死んで肉体が消滅したらそれで一巻の終わり、魂や幽霊などというものはある筈が無いと頑なに信じている人(特に年配の男性が多いですね、所謂ガンコ爺という奴です)は、想いの意識だけは未だ残っているので自分が既に死んでいると理解することが出来ずに、浮遊霊のような状態になったり、その時の想いの念が強ければ地縛霊の様になってしまったりするのですね。(一瞬で亡くなる事故死なども、死んでいるという自覚が出来ない場合があります) かく言う自分も、過去に高校時代の同級生が亡くなった時に取り憑かれてしまって非常に困ったことがありました。 彼もまさかそこで自分が死んでしまうなどとは思ってもいなかったでしょうから、混乱してすがる様な気持ちだったのだろうと思います。 何せ彼は容態が急変してアッという間に亡くなってしまい、それまでは具合が良くなったら何処そこへ一緒に行こうというような話を自分にしていましたから。 そういった固執する気持ちが無い素直な心の人や、魂には帰るところがちゃんとあるのだと自覚しているような人は、肉体の死後何日かの間は現世に留まっては居るものの、自ら戻るべき魂のふる里へ自然にかえっていくのです。 これと似たようなお話で、癌などの肉体に致命的な病気

夢について考える その八 霊界と繋がる?

人が夢を見る為には顕在意識の状態では当然見ることは出来ない訳でして、それが見えるのは通常妄想や幻覚と言われており、その状態が更に酷くなり現実と妄想の区別がつかなくなってくると、分裂病などの精神障害となるのですね。 通常、霊能者が霊的世界と繋がるためにはいろいろなパターンがあります。 全く普通の顕在意識状態からスイッチをオン、オフに切り替えて霊界と繋がる者、これは自分の知り合いで一番多かった人達です。 別のパターンではフーチ等の道具を使って霊とコンタクトを取る者、意識は有るものの自我の中に霊を降霊させて自分の肉体を貸した状態で霊と繋がる者、また、全く意識のない状態から霊界と繋がってチャネリングをするという霊能者もなかには居ります。 人が入眠している状態と最後の霊能者の場合のチャネリングについては、どちらも潜在意識の状態であるという共通点があります。 このケースの霊能者で世界的に知られた人に、エドガー・ケイシーというアメリカ人がおりますけれども、あまりにも有名な人ですので皆さんもその名前を一度はお聞きになられたことが有るのではないでしょうか? 彼が本当に素晴らしい霊能者であるのは、その高潔な魂の精神性でして、彼が霊能者として有名になるとそれを利用しようとする輩達からの金儲け話が彼のもとに沢山持ち込まれましたが、彼は断固としてそれらの申し出を拒否しました。 彼はその霊的な素養(リーディング)を商売にして私腹を肥やすことについては非常に葛藤があったのです。 それどころか、相談者のリーディングをすることに対しては、彼等の人生を変えることになるかも知れないという重責のあまり、物凄いプレッシャーで押し潰されそうになったといわれています。 彼は自身の霊能が、道徳的、宗教的意識に照らし合わせて崇高なものであれば、そのリーディングが最高に機能して神の意思に沿ったものとなることを確信していました。 ですから自分自身は利他の奉仕の気持ちでリーディングに臨み、本当に助けや導きを求めてやって来た人達へこそその霊能を使うこと、それが彼の「リーディング」の条件となっていたのです。 彼の場合、潜在意識の状態の時に相談者のアカシックレコード(すべての魂の記憶が残されている場所)に繋がって、今世や過去世、病気の原因についてのリーディングをしましたが、六十数年の生涯にわたって二万件以上のリーディングをした