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韓国人窃盗団によって盗まれた対馬の仏像、12年ぶりにやっと返還される 後編

前回のブログをお読みの方のなかには、韓国人や在日朝鮮の人に対して、嫌悪感や差別意識というものを抱いた方々がひょっとして居られるかもしれません。 確かに、終戦直後の焼け野原の混沌とした状況の中で、彼等のうちの一部の者達が焼け跡を一方的に不法占拠したり暴れ回ったりする等、散々傍若無人な無法者まがいの所業をしていたのは紛れもない事実ですからね。 そこで、自分は今回のトピックで先ず最初にお伝えておきますが、韓国の人達(在日の方)に対してはさしたる偏見は無いのですよ。 自分が今勤めて居ります職場にも、まあ、仕事上ですけれどもよくお話をする方がお二人みえますが、朝鮮半島の人達と在日の人は明らかに気質というものが違うのです。 在日の方は、日本人と朝鮮人の特徴を足して二で割った様なところがあり、なかには両方の気質の良い部分を受け継いだような素晴らしい人がみえるのです。 それに対して半島に住んでいる彼等は、基本明るくて人間味があり、とても情緒的でもあります(だからああいうドラマが作れるんでしょうね)、ただ、日本人から見るとあまりにもちょっと人間臭いというか、本能的な部分で困ったところが有るのですね。 言うなれば、彼等は日本人より良くも悪くもあらゆる感情の振れ幅が非常に激しいのです。 いつもお伝えしている通り、このブログの趣旨は、正しい事のみを追求するということを本文として居ります。 今回のブログの趣旨は、日本人から見た彼等のなかに巣食う歪んだ反日感情を炙り出すための一例として、韓国人による仏像盗難事件を取り上げたのです。 この事件はそもそも、国際法に照らし合わせても盗難された仏像は即座に返還されるのが当たり前の話であって、浮石寺側の主張はもう法を逸脱した滅茶苦茶としか言いようの無い話なのです。 韓国の地方裁判所の決定も、厳格な法律を適用するならばまさに捻じ曲げられた異様な判決であり、法の番人の遂行者としては在るまじき行為であるとしか言い様がありません。 韓国という国には、国民情緒法という彼等の価値観でしか通じない特別な法が有りまして、厳格な法の適用を超えてしばしば国民の情緒や感情が優先されることが有るのです。(韓国の政治の世界では、特に頻繁にこの様なことが起こります) 日韓の間でこの事を一番簡単に説明するためには、竹島の領有権問題を例に出すのが一番手っ取り早いのですけれども、この事件...

韓国人窃盗団によって盗まれた対馬の仏像、12年ぶりにやっと返還される 前編

(食のトピックは、後日また上げさせて頂きます。) 今回の事の経緯をお話しますと、今から12年前の2012年10月、長崎県対馬にある観音寺から国や県の指定重要文化財である仏像2点が韓国人窃盗団によって盗まれました。 その仏像は翌年韓国内で見つかり、通常であればユネスコの国際条約により元の寺に速やかに返還される手筈となるのです、が…。 しかし、信じられない事に窃盗された仏像を所有していた忠清南道にある浮石寺が、この仏像はもともとは浮石寺のものであり、倭寇に略奪されたものであるという理由で日本への返還を拒否したのです。 また浮石寺側は、太田地方裁判所に返還差し止めの仮処分申請をして、地方裁判所は「(対馬の寺院である)観音寺側が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで、日本に仏像を返還してはならない」というとんでもない決定を下しました。 しかも裁判では、浮石寺側に数百年前に倭寇が強奪した仏像だという証拠を求められたものの、「根拠を示す鑑定書は仏像を失ったときに、思い出すのが悲しいので捨てた」という如何にも韓国人らしい情緒的な苦し紛れの主張をして、強奪の根拠は提示出来ませんでした。 当時の朝鮮半島の歴史的な背景をお話しますと、李氏朝鮮時代(1392〜)、それまで高麗によって手厚く保護されていた仏教は、儒教が国教となると徹底的に弾圧(斥仏揚儒)されました。 寺の数も厳しく制限され、多くの寺院は領地の没収や仏像なども破壊され尽くし、僧侶も都から追放されたり奴婢(ぬひ、奴隷階級)に落とされるなど、日本の明治期の「廃仏毀釈」とは比較にならない位の苛烈な暗黒時代を余儀なくされたのです。 李朝三代目の国王太宗の時代には、高麗時代に一万以上有った寺院の数が何と242寺迄減らされたと言われています。 当時の朝鮮半島では、彼等は徹底的に仏教を弾圧し、寺院、仏像等を破壊していたという背景があるのです。 その様な時代背景があるにもかかわらず、浮石寺側は仏像が盗難されたという根拠は提示出来ないのに、日本の観音寺側には盗難していないという根拠を示せ、と裁判所が言っているのです。 しかも、五,六百年も前に自分達が寺や仏像を破壊しまくり僧侶を貧民にまで貶めておきながら、何で倭寇が盗んだと断定できるのでしょう? 600年も前に仏像が果たして盗まれたものかどうかを断定することは100%不可能ですし、...

医食同源 食がもたらす心と身体の病について考える その九 日本本来の食文化とは?(5)

日本の食文化とは少しお話はそれますが、前回の続きを最初に書かせて頂きます。 自分が何故、完全な「四毒」抜きの生活を実践していないのか、それには自分なりの明快な理由があります。 人の魂というものには百人百様の癖、性分があり、肉体もまた魂や霊的な影響をある程度受けていますので、それぞれの身体的特徴、特質というものは皆さん違うのですよ。  例えば、外国人としての過去性を多く経験した人と、日本人として沢山転生を繰り返してきた人とは明らかに違いがあるでしょうし、ひょっとしたらある人は宇宙由来の魂で、新人類として地球に転生して来たのかもしれません。 ですから正直言いますと、すべての人が食べ物に対する耐性についても少しずつ違ってくるのではないかと思うのです。 (勿論そこには遺伝的要素も加味しなければなりませんが) 自分の事で申しますと、植物油と乳製品は身体に訊いてみるとやはりあまり相性が良くないみたいで、小麦粉と砂糖については摂りすぎなければ、前の二つよりは僅かであれば然程心配しなくても良い感じがあるのです。 何故そんな感じがするのかと言えば、その理由の一つにはおそらく過去世ではパンをよく食べていたのではないかと思うのですね。 それから食品添加物や農薬、化学肥料、除草剤といったケミカルなものも、四毒と同じ位、若しくはそれ以上に避けなければいけないものだと自分は考えています。(このことについては後述させて頂きます) これは明らかに吉野さんの考えとは違いまして、彼は先ずは何よりも四毒抜きの生活を実践することが肝要であると主張していますからね。 彼の医者としての経験値と、自分が生きて来たそれとはやはり少し違うところがある為に、お互いの見解も若干のズレが生じているのではないかと思っています。 さて、ここからやっと本題に戻ります。 自分はもともと魚好きであったので、焼き魚とかはよく食べていましたけれども、誠に残念なことにあまり日本食というものについては馴染みが有りませんで、若い頃から朝食といえばサンドイッチとかで家では味噌汁など飲んだ事が殆ど無いという一風変わった家で育っていましたので、余計にそうだったのかもしれません。。 自炊をする様になってから、日本食をいざ作ろうとしても今一どうすればよいのか勝手が分からず、作り方や食文化としての背景等をいろいろ勉強させて貰いました。 先ず、さしすせそ...

医食同源 食がもたらす心と身体の病について考える その八 日本本来の食文化とは?(4)

もしもですね、コストを一切気にせずに食材にこだわった一つのお店で購入するのであれば、確かに手間や時間は省けるのでしょうけれども、それをある程度節約するためには、知識とリサーチ、時間や労力を惜しまないことが必要となってくるのです。 しかし自分は、単身赴任の様な今の生活の境遇になったことを心から感謝しているのですね。 もしもその辺の安売りスーパーで何も気にすること無く食材を買っていたり、外食やコンビニ弁当ばかりのお手軽な飽食の食生活を送っていれば、確かに便利で楽には違いないでしょう。 しかし、そういった生活を続ければ続ける程、後になって身体の不調というツケを払わされる可能性が高くなるのです。 何方でも若いうちは、何を食べていても何の支障もなく暮らせるでしょうが、そういった食生活を長らく続けていると、四十代を過ぎた辺りから段々と身体に変調が現れてくるのですね。 自分は三十代前半から五十代半ばまで、それはもう、滅茶苦茶な食生活を送っていましたから、自分の身体で人体実験をしているようなもので身に沁みてその怖さが分かっているのですよ。 食についての一つの考え方として、たとえ病気になって寿命が縮んだとしても、好きなものを食べられるのであればそれで良いのだと言う人は、このブログの読者の方の中にもきっと居られると思います。 人の魂には、絶対不変の自由意志というものがありますので、それはその人の大切な価値観でもあり、自分はそれについてクレームをつけたり、異議を唱えたりする積りは一切ありません。 そこで自分は思うのですよね、人間の本来の姿というものは魂であり、人は即ち肉体をまとった霊人なのですから、この三次元世界で生きていく為の肉体というものは、広い意味では神さんからお借りしたものだとも言える訳です。 ですから自分の身体をぞんざいに扱わずになるべく大切に生きていきたいと思って居りますし、やはり晩年病気になって苦しんだり寝たきりになるよりは、なるべくピンピンコロリでトラブルも無くあちらの世界に帰りたいと思っているのです。 自分が今、自炊をする様な状況に置かれていることは、神様(というよりも自分のことを守ってみえるご先祖の守護霊様)の采配で、身体に良い日本食をなるべく食べる様に仕向けられているのだと感じているのですね。 前の「四毒」のトピックで吉野敏明さんは、完全に四毒を止めないと意味がない...

医食同源 食がもたらす心と身体の病について考える その七 日本本来の食文化とは?(3)

またこれは以前にも書きましたが、江戸時代にはお酒にの原酒を「玉割り」と言って水で薄めたものを燗付けで飲んでいました。 このお酒については、自分も実際に当時の飲まれていたものを体験するために、水で薄めて燗付けをして飲んでみたのです。 今の日本酒は、アルコール度数がおよそ15度前後ですので、江戸時代のお酒と同じ様にするには酒1に対して水を2で割って、更にそれを燗付けするとなるとアルコール分が少し揮発して飛びますので、今の酒と比べると本当に微かな酒の味しかしなくなるのですね。 それでも自分は親譲りの遺伝子をしっかりと受け継いだ下戸なので、そんな薄い酒でも十分に酔っ払いますが。 当時の人達は何故冷酒を飲まなかったのかと言いますと、海原益軒の「養生訓」が当時の庶民の間に広く知られており、冷酒は身体を冷すので良く無いという事が一般的に認知されていた為に、燗付けをしてから飲むという事が習慣となっていたのです。 しかし、日本酒というのは蒸留酒ではありませんし、糖質についても他のお酒に比べて多めで、アル中になるような人は以前から日本酒飲みの人が多かったのです。 ですから、江戸時代のお酒についても食材と同じ様に、アルコール度数が今の日本酒と比べると遥かに低いだけに、身体にとってはより負担が少ない飲み物だったという事になるのですね。 (まあ、3倍飲んでしまえばアルコールの摂取量としては同じことになるのですが、たとえ同量を飲んだとしても水も沢山飲んでいる分、内臓の負担はより軽くなる筈です) そもそも論になりますけれども、何故今の食事情よりも当時のお江戸の食事の方が遥かに良かったのかと言いますと、よくよく考えれば至極当然のことなのです。 当時は合成された除草剤や農薬、化学肥料等というものは存在しませんでしたし、ましてや冷凍保存(将軍への御献上品等は除く)技術や添加物等というケミカルなものも存在しませんでしたので、自然の在るがままのものを当時の人達はごく普通に食べていたのですよ。 しかも、当時は当然ハウス栽培などというものも無いので季節に応じた旬の物を食べていましたし、交通(物流)も発達しておりませんでしたから、地産地消の食材を当時の人達はごく当たり前の様に消費していたのです(即ち身土不二)。 皆さん、そういったナチュラルな食生活が身体に悪い訳がありませんでしょう? 因みに日本の農薬や化学肥料...

中居氏の事件から透けて見える芸能界の闇

元の「医食同源」のトピックに戻る前に、前回お話しをしました中居氏の一連の騒動について、フジTVの記者会見をたまたま少しだけ仕事しながら聞く機会がありましたので、ここで最後に雑感として書かせて頂きます。 翌日になって、SNSのニュースでも会見のおおよその顛末を見たのですけれども、ズルズルと10時間以上にも渡って2度目の謝罪会見を開いたにもかかわらず司会も取り回しがグダグダ、質問側のマスコミも今一質問のレベルが低かった様で、フジ側もそれにつけ入るようにのらくらと逃げる様な答弁をしている様に感じました。 フジ側の言い分では、問題の切っ掛けを作ったフジTV幹部社員のA氏は、今回の騒動には関与していないという返答を繰り返しているようですが、視聴率男で番組も持っていた中居氏にどこまで忖度したのかは分かりませんけれども、A氏が今回の事件の発端となった切っ掛けを作ったのは事実でしょう。 しかも自社の女子アナを、業務命令的にパーティーに駆り出したというのは既に判明していることなのです。 フジ側は今回の件については、発覚した最初の頃は中居氏の言い分を全面的に受け入れて、被害者側の女子アナの訴えをまともに取り合うことはして居りませんでした。 しかしながら本来彼等が守るべきであるのは、当然フジの社員である女子アナの方であり、これはもう、本末転倒という恥ずべき行為であると言わざるを得ません。 彼等は自社の大切な社員を守るよりも、中居氏に忖度して視聴率という会社の利益を守ろうとしたのです。 ここで問題になるのは、その場に居合わせた人達の関係性において、我欲の想いがそこに有ったのかどうかということです。 己の性欲を満たす為の欲望もそうですし、己の立場を利用して仕事に有利になる様に謀ったりするのも己の我欲を満たす為の行為であると言えるでしょう。 もしもその様な想いが微塵も介在し無いというのであれば、番組の制作側と出演者という健全な関係として、番組の打ち上げ等があったとしても別段何の問題も無いと思うのです。 ですからそういったパーティーはこれから全てが駄目という様な話については、極端であたかも行き過ぎた過剰な反応なのではないかと感じています。 ただ、芸能界の闇の部分を如実に表すお話をここで一つだけさせて下さい。 昔、主役級の強面の俳優で、若い女優が自分の出ている映画に配役されると、「弁当」と言ってそ...

別番再び 中居正広氏の問題について考える

一昨日のこと、ニュースになりましたこの問題について触れないといけない衝動抑え難く、もう一度別番を掲載させて頂きます、どうかご容赦下さい。 SMAPの元リーダーである中居正広氏が、23日の木曜日の朝、突然芸能界からの引退を発表して周囲を驚かせましたが、これは実質的には引退というよりも強制退去であり、もっときつい言い方をするならば芸能界からの追放を意味していると言っても良いでしょう。 今回の騒動で思い起こすのは、当時ジャニーズ事務所の社長で芸能界に絶対的な権力を誇っていたジャニー喜多川が、己の歪んだ性的嗜好を満たすために所属事務所の若い男性タレント達に性暴行とも言える様な振る舞いを日常的に行っていた事件です。 一連のジャニーズ事務所の一件の情けないところは、当時のテレビ局やマスコミ達の多くが、彼の犯罪とも言えるそういった振る舞いについて把握していたにも関わらず、ジャニーズ事務所の絶対的な影響力の大きさに忖度して殆ど弾糾されることも無く遣り過ごされていたということです。 更に輪を掛けて情けないのは、イギリスの国営放送であるBBCの告発ニュースによって世界中にこの事実が露見してから(ジャニー喜多川の死後ですよ)、やっとのことでそういった連中が重い腰を上げたという誠に分かりやすい芸能界の闇とも言える構図でして、BBCがもしもジャニー喜多川の性暴行のニュースを出さなければ、きっと有耶無耶のまま何事も無かったかのように彼の悪事は忘れ去られていた事でしょう。 芸能界というところは皆さんもご存知の様に、全てとは言わずとも魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する一種魔界のような陰の部分がありまして、昔、国民的スターだった美空ひばりが山菱の代紋の組長であるOと昵懇の仲であったというのは非常に有名なお話です。 以前は芸能人が地方公演を打つ場合、地元のその筋の興行主が手配していたということはごく普通に行われてもいました。 それだけ芸能界とその筋の世界とは、極めて深い繋がりがあったということです。 芸能界と一口に言いましても、クラシックからミュージカル、音楽の世界、歌舞伎等の古典芸能、俳優、声優、アイドル、お笑い、TVタレント、今流行りのYouTuber、果てはセクシー女優に至るまで誠に雑多なタレント達がそのカテゴリーに属しています。 今回の事件(敢えてそう言わせて貰います)は、もう一方...