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医食同源 食がもたらす心と身体の病について考える その二 四毒(2)

そして三番目の牛乳、これこそは前回の小麦同様日本人は長年のあいだ、牛の乳を飲むなどという習慣はありませんでしたので、小麦以上に不耐性で受け付けないという人が圧倒的に多かったのです。 かく言う自分も、牛乳を少しでもキャパ以上に摂るとお腹が痛くなってきて、下手をすると下痢を起こすということが若い頃には頻繁にありましたので、明らかに牛乳不耐性の体質を持った側だったのでしょう。 牛乳のなかにはヨーグルトやバター、チーズなどの乳製品類も含まれているのですけれども、非常に都合の悪い事に、過去世の因縁からか自分はチーズが大好きでしたので、以前は毎日のようにヨーロッパやニュージーランド産のチーズを食べ続け、やっとこの一年前頃からチーズを以前の様に食べる習慣を止めることが出来るようになりました。 牛乳を含む乳製品全般は、マクロビオティックの視点からすると男女ともに生殖器系統に悪影響を及ぼすということが言われておりまして、前立腺肥大の持病があった自分としては散々チーズを止めなさいと言われ続けてきましたので、ようやく最近あまり食べなくなったという次第なのです。 そして最後の植物油についてですが、吉野さんは確か自分の記憶では、最初の頃三毒と言っていたのが途中から四毒に変わったのではないかと思うのですが(勘違いであれば御免なさい)、植物油もやはり身体にとって決して良いものではないという事なのだそうです。 (植物油はですね、市販の特に安い価格のものは圧搾の製造過程が滅茶苦茶ですので、皆さん内情を知ったら卒倒しますよ!) これもですね、揚げ物や炒め物などにはどうしても植物油を使いますので、料理で全く使うなといわれるとなかなか厳しいものがありますが、動物性の油については身体に良い作用ももたらすということで、この範疇からは除外されている様です。 植物油が駄目となると、天麩羅、揚物系は全滅ですし、中華料理も炒(ジャン)の料理と言う位で殆ど駄目、イタリアなどの南欧料理もオリーブオイルを多用しますから無理ということになってしまいます。 もともと日本食よりそちら系やエスニック料理の方が大好きだった自分としましては、一番この植物油抜きはハードルが高いですし、植物油抜きを実践するということは本当に難儀します。 正直言いますと、油を使った料理はやはり依存性がありますし、味の濃いこってりしたものは普通の人にとっては...

医食同源 食がもたらす心と身体の病について考える その一 四毒(1)

世間では最近この四毒という言葉を聞く機会が段々と増えてきましたので、皆さんご存知の方もみえるかもしれませんが、このトピックの初っ端から核心に触れる事柄について書いていこうと思います。 皆さん、吉野敏明というドクターをご存知でしょうか? 彼がある程度巷で有名になった切っ掛けは、前回(2022年)の参議院選挙で彼が参政党のボードメンバーとして比例区で立候補をし、選挙期間中に全国を遊説してまわったことが一般の方々の知る切っ掛けとなリました。 自分もまた、同じくその参院選の数カ月前頃から、ネットを通じて彼のことを知るところとなりました。(実際に彼とは一度お会いして、香害についてもっとアピールして下さいという要望を伝えたりしています) 結論から申し上げますと、参院選で当選したのは今代表を務めています神谷宗幣さんのみで、後年、五人のうちの三人のボードメンバーは結果的に彼と袂を分かつ事となりました。(吉野さんの他に赤尾由美さん、武田邦彦さんの三名ですが、この経緯については自分は知っていますけれども、今回のトピックとは関係ありませんので敢えて触れません) 彼は今、YouTubeで「吉野敏明チャンネル〜日本の病を治す」という医療系のチャンネルを運営しており、日毎に登録者数が増えて直近では約四十万人の方が登録をしています。 (四毒について詳しく解説されていますので、興味のある方は一度ご覧になってみて下さい) そもそも彼の家系というのは代々続いた漢方医の家系でして、ご本人自身はもともと歯科医師なのですけれども、吉野さんは医学雑誌にも論文も多数発表しており、YouTubeを観ていると総合医療全般について非常に造詣も深く、尚且つ西洋医学のみに留まらず和漢医学にも精通しているという極めてユニークなドクターなのです。 彼が自分のチャンネルでメインテーマに据えているのが、「四毒」というものでして、これは、砂糖、小麦粉、乳製品、植物油の四つの食品を指しています。 正直申しますと、自分は彼のチャンネルを登録してはいるのですけれども、実際にはあまり観たことは無く(つれあいが熱烈な彼の信奉者なので、間接的に聴いてはいます)、それは何故かと言いますと、この「四毒」については以前からある程度は知っていたのですね。 過去のブログでも触れていますが、自分は昔はそれはもう滅茶苦茶な食生活(外食と加工食品まみれ)をし...

何故自殺をしてはいけないのか? その理由とは 四 短絡的な人生を歩む者への警告

自死のお話とは少し趣旨が違うのですけれども、何故自殺をいけないのかというお話と、何故人を殺してはいけないのかと言うことは、実は霊的な眼で視ると両者は同じことなのですね。 最近、ニュースで結構頻繁に見掛けるようになりましたが、SNS等で知り合った見ず知らずの若者達が強盗などの犯罪を働いたり、最悪、家に押し入って家人を殺害して金品を奪うという事件がまるで流行りのようになってしまっています。 また、お年寄りの方達に詐欺を働いてお金を騙し取る犯罪もますます巧妙化していまして、アジア等日本意外の場所に拠点(アジト)を移して、指令役、連絡役、実行役という役割分担をして善良なお年寄り達から大切な老後資金を巻き上げるというニュースが頻発しています。 そういった犯罪に手を染める連中は、ニュースなどをみていると二十代から三十代の若者が多いように見受けられます。 己の我欲のためには人を殺めたり、騙してでもお金をせしめれば良いという短絡的な物欲三昧の人生は、彼等の価値観からすると、今世でやりたい放題やっても捕まリさえしなければラッキー!ぐらいの感覚なのでしょうけれども、霊的な眼で彼等の魂としての行く末を想えば本当に心配になってきます。 何せ、どんな悪事を働いても死んだらチャラになってやり得だと思っていたら、死んでからこそ、その悪事の報いが己に跳ね返って来る訳ですから、霊界ではやり得や逃げ得などということは絶対に無いのです。 己の魂にはしっかりとアカシックレコードの様に悪業が記録される訳ですし(勿論善行もです)、下手をすると深いキズの様なカルマを魂につくって人生(魂)の留年どころか落第ものですよ。 この宇宙というのは多次元構造になっていますから、そういった素行の宜しくない魂によっては、最悪の場合低次元の宇宙へ飛ばされてしまうこともあるのかもしれません。(地球霊界に留まる事が出来ずに退学、放校処分ですね) そんな低い波動の魂はたとえ霊界に残れたとしても、自らの意思で地獄のような低級霊界へと真っしぐらに落ちていくことでしょう。 (霊界の仕組みについては、またの機会に詳しくお話させて頂きます) この日本では、強盗などで人を殺してしまえば最悪の場合刑事罰で死刑となる訳ですが、まあ三次元世界では己の命を以て罪を償なったというかたちになるのでしょうけれども、絞首刑で死んだ後にまた己の所業をその魂が今度こ...

何故自殺をしてはいけないのか? その理由とは 三 苦しみには必ず終りがやってきます

前の二章でいろいろと書いて来ましたが、今が苦しくて堪らないからこの苦しみから逃れるために人生を終わらせるのだという選択は、如何に割に合わないものであるかということがお分かり頂けたことでしょう。 これが、残念ながら霊的な眼で観た普遍の摂理なのです。 このブログでは何度もお話をしている通り、我々人間の魂というものは神的な存在からの分身であり分け御霊でもありますし、我々が今纏っているこの肉体もその魂が入る為の借り物なのですから、幾ら魂には自由意志があるとは言え、決して何でも自分の好き放題にしても良いということではありません。 ですから自ら自死を選ぶということは神の意思に対して矢を射る様な行為でありますし、霊的にみても魂に深いトラウマを植え付ける、まったく割に合わない選択だと言わざるを得ません。 しかも最悪の場合地縛霊となってしまう可能性もあり、何よりも人として生まれたにもかかわらず、素晴らしい体験を出来る可能性を終わらせて無駄にしてしまうことは、本当に勿体無いとしか言いようがありません。 一般の価値観の人からしたらとてもおかしな言い方に聞こえるるかもしれませんが、自分は今、日本人として生まれたことを大変ラッキーなことと思っています。 何故なら、自分のこれまでの人生は何度も海外での過去世を繰り返し経験して来たでしょうから、尚更今回、日本人として生まれた今世を体現出来ていることが、どんなに幸運な事かを身に沁みて感じているからです。 これは決して手前味噌的なお話ではなく、日本人の民族魂としての霊性や波動が(霊的な摂理を十分に熟知している自分から観ても)とても高いというのは厳然たる事実ですし、宝くじでも当たったような確率でやっと地球人、それも幸運な事に日本人としての人生を体現できるチャンスを与えられたのに、その機会を棒に振る様な行為は、自分から言わせれば本当に慚愧に堪えないとしか言い様のない愚かなことなのです。 それだけ日本人として転生したい魂は沢山居るということなのです。 皆さん、辛いことは大なり小なり何方にでも有りますし、人生とはそもそもその様に出来ているのです。 使い古された言葉ですがこれは絶対的な真実ですよ、神は乗り越えられない試練は決してその人には与えません。 決して空けない夜は無いし、止まない雨も無いのです。 このブログの読者の方でもしも本当に人生が辛いという人がみえ...

何故自殺をしてはいけないのか? その理由とは 二 霊界での因果律

そして万が一、その呪縛から解き放たれて地縛霊となることを免れたとしましょう。 自死した人は、魂がもと居た場所である霊界へと帰っていきますが、そこでも次の試練が待っています。 霊界というところは想念の世界でありますので、現世のように嘘で誤魔化したり人のせいにするということは決して有り得ません。 ですから生前に己が行なってきた全ての事柄や、人生でどの様に想ってきたのかということについては、魂にその責務や精算を負わなければならない様な仕組みになっているのです。 たとえ現世で高い地位に就いていた人であっても、一度霊界へ帰れば生前に行っていたことや想っていた事柄の全ての所業について、走馬灯のように一瞬で見せられ、その全てを強く認識させられます。 これは霊界の閻魔大王が裁くとか、誰か他の霊存在にに裁かれるということでは無く、魂が霊的な摂理に従って己自身を裁き、己自身を評価するのです。 こんな絶対普遍なことはありません。 霊界では、自分で撒いた全ての種は、最後はすべて自分でしか刈り取ることが出来ない冷徹な仕組みになっているのです。 そこで自死した魂は猛烈に苦しみ、自責の念に苛まれます。 それは、自殺というものは己自身のすべて、肉体や魂を否定した事になる行為だからです。 死に至る迄の行為は、その人なりに(苦しみの)理由があってのことなのかもしれませんが、一旦死んでしまえばもはやどんなに悔いても元には戻せません。 自分は何故苦しかったのか、何故自殺してしまったのか、しかしその想いはその人個人だけのものではなく、全ての人の人生には大なり小なりの悩みや苦しみ、超え難いと思われるような試練は(魂によっては)つきものなのです。 人と関わることのストレスや人生の様々なる試練によって、挫折や大きな壁にブチ当たり、何故、こんなに、自分は、苦しいのだろう? と悶えながらも、また別の人との関わりでその心根の優しさにに救われたりして、いつしか自分で克服出来る日がやがて来るのです! よくYouTubeなどで、ライトワーカーと言われる人達が、魂を解放すれば人生楽しいことだけが起こり出すというような話をしてセミナー等をやっていますが、あんなもの相手にしては駄目ですよ(特に女性の方)。 彼等のことを冷静な眼で注視てみて下さい、彼等のほぼ全てがビジネスですよ。(100%とは言いません、なかにはホンモノの玉の存在も...

何故自殺をしてはいけないのか? その理由とは 一 あなたは地縛霊になりたいですか?

ネットの世界というものは、己の肉体の奥底に隠された魂の部分が露見しやすいという点では、霊界と一種通ずるものがあります。 以前何かのSNSで、九州からバイクでツーリングに来ていた若者がもう生きるのも辛いという呟きを投稿し、沢山の人達が彼に対して心配や励ましのツイートを送っていました。 しかし彼は、その投稿があって暫くした後に、東北方面のダムのあるところで亡くなってしまいました。 SNSなどをみていると、肉体や精神に支障を来してしまった人、社会で生きていくのに疲れ果てて、もう死んでしまいたいと弱音を吐く人達を時折見掛けます。 彼等が、現世がこんなに辛いのであればいっそ死んでしまえばその苦痛から逃れて楽になれる、と思ってみえることは果たして本当にそうなのでしょうか? 答えは残念ながら、否、なのです。 心の病については、脳生理学的に言うと脳の機能がバグったり、ホルモンの分泌異常が精神に支障を来す場合や、本人が本来持って生まれた魂の癖性分(過去世のトラウマなども)、生きていくうえで受けた過重なストレス、今迄に摂取してきた食べ物等々、あらゆる要素が複合的に絡まって精神に異常を来して鬱状態になり、最悪の場合、自死という選択をしてしまう方がみえるのは誠に残念ながら決して少なくはありません。 まず、己の肉体を殺してしまえば本当に楽になれるのか、それは霊的に言うと全く違います。 人が、色々な理由で死んで己の人生を終わらせようとする時に、何が一番大切なのかと言いますと、亡くなる瞬間のご本人の想いなのですね。 自殺した人が果たしてどの様な想いで亡くなっていったのかは、皆さんも想像に難くないでしょう? 地縛霊という言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか。 ビルから飛び降りた人、電車に飛び込んだ人、部屋で自死した人達は、魂がそこで固定されて地縛霊となったというのでは決してありません。 その瞬間にその場に留まる事を選んだ為に、その場から動けなくなってしまったのでは無く、己の想念に縛られて結果として自らがその場所に留まっているのです(ある人はそれを残存思念と呼んでいます)。 ビルの屋上から何度も飛び降りる霊をみたことがありますけれども、これは皆さんを怖がらせる為にお話しているのではなく、本当に悲惨な話で、その霊が気付く迄何度でもその場で同じ事を繰り返しているのです。 更に恐ろしいことに、そういっ...

特別寄稿 “Night birde”(夜鳥)という生き方をしたある末期癌の女性 エピローグ

彼女は、サイモン・コーウェルのゴールデンブザーを獲得してから僅か数カ月後に亡くなってしまい、今世で再びステージの上に立つことは叶いませんでした。 彼女が亡くなった後暫く経ってから、番組のなかでサイモンと司会者の人の対談がありました。 司会者の人が、サイモンが今迄に押してきた沢山のゴールデンブザーの中で、一番に挙げるとすればいったい誰のゴールデンブザーなのかと言うことを彼に尋ねました。 彼は、感極まった感じで暫くの沈黙のあとにやっとのことで口を開け、ナイトバードの名前をあげました。 サイモンはナイトバードが亡くなってから、まるでトラウマの様に永らくの間彼女が出た番組を観ることが出来なかったと心の内を吐露していましたが、彼女が末期癌であるということを知りつつも、どうしても彼女の天使のような笑顔からその死を受け入れることが出来なかったのでしょう。 自分はそこで空想していました。 もしも並行世界があって、その世界線では彼女が末期癌では無かったとしたら、果たして彼女は歌手としての成功を掴んだのだろうかと。 しかしそれはしょせん、詮無きことなのです。 ジェーンは二十五歳で癌に罹り、三十歳でアメリカで大人気の番組に出てサイモンのゴールデンブザーを獲得したにもかかわらず、そのたった八ヶ月後に亡くなってしまいました。 このブログの読者の方々は其々が全く違った人生を歩んでみえることと思いますが、各々の方の人生で起こった出来事は、実は決して偶然に起こったり体験したりした訳ではありません。 我々が肉体を以て体現した日々のあらゆる出来事には沢山の試練や学びが用意されており、毎日の起こっては過ぎてゆく事柄は、実は(霊界の)霊的な摂理の軛(くびき)を免れることは出来ないのです。 自分の人生では時折起こる事なのですけれども、良いことも悪いことも全て含めて、何故そのようなことが自分の人生に起こったのかということが、まるでジグゾーパズルのピースが埋まったかのようにある日その答えがストンと心の内に浮かんできて、あぁ、そうだったのかと後から納得出来るのです。 これは己の魂を内省していると、ハッキリと霊的な摂理の影響でそれらのことが起こっているのだということが分かります。 ナイトバード(ジェーン)も、彼女の霊性の高さからすると自分に今起こっていることを全て達観していたのだろうと思います。 彼女はきっと、末期...

特別寄稿 ”Night birde”(野鳥)という生き方をしたある末期癌の女性 中編

この言い回しはあまり日本語的では無いものの、敢えて直訳すると、「幸せになろうと決心する前に、人生これ以上の困難が無いことを待たなくてもよい」ということになります。 日本語としては少し分かりにくいのですが、この言葉は彼女がステージに立ったときの(霊的な)心の状態を素直に表しています。 「たとえどんな困難(末期癌に冒されて死に直面した肉体)があろうとも、あなた(わたし)は幸せになることを待たなくてもよい」 もしも誰かがその様な状態になったときに、こんなことを笑顔で口に出来る人が果たしてこの世にいったいどれだけ居るというのでしょう? だから、サイモンや他の審査員達は彼女の言葉を訊いて困惑したのです。 ステージでサイモンのゴールデンブザーを受けたあと、ジェーンはバックステージでこのように独白しています。 「私の生存の可能性は2%、だけど2%は0%じゃない。 2%は充分、みんなに知って欲しい(2%もあることは)素晴らしいことだって」 もしも末期癌であると宣告された人が、もしも主治医から2%どころか50%の生存率だと言われたとしても、果たしてこのブログをご覧の皆さんがその様な立場になったとしたらどうでしょう? 彼女はおそらくとても霊的なステージの高い魂なのだと思います。 今の人生で行なったことのすべて、そしてどのように魂が想ったのか、そのことだけしか魂の世界には持って帰れないのだということを彼女は知っていたのでしょう。 人生を少しでも長く生きられること、経済的な成功、地位や名誉、愛という名のエゴ、現世御利益という我欲、そういった如何にも三次元的な事柄は、一歩間違えば我良しの世界に陥りやすく、霊的な摂理とは全く相容れないような価値観であるということをハッキリとお伝えしておかなければなりません。 それらの事柄と対極にあるのは、普遍的な愛の心、利他(自分の周りの人を思い遣る心)の精神、全てに対する感謝であり、そして祈りという魂の発露にも素晴らしいエネルギーが満ち溢れています。 彼女は恐らく死というものに対する真実を知っているが故に、死に対する恐怖はもう微塵も無かったのだろうと思いますが、これは霊的な摂理というものを理解している者であれば、たとえ誰であろうと死を恐れるという事は決して無いという事なのでしょう。 死は人(肉体)の終わりではなく、本来の魂の故郷へ生まれ変わるということなので...