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我が家の今年の収穫 自然農

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我が家では、あまり広くはないのですが空いたスペースを利用して、自然農で野菜やハーブを育てています。 連れあいが日本の在来種の種をコツコツと集めて、家の周りの彼方此方に植えました。 自然農というのは、川口由一(よしかず)さんという人が広めた農的形態のことで、肥料は一切やらず、耕しもせず、勿論のこと農薬なども使わない農法の総称でして、少しずつではありますけれども全国的にも広まってきているようです。 家の玄関先。ドアは何の変哲も無いアルミの扉だったものを杉板を薄く加工して貼りつけ、アンティークな感じに仕上げました。 玄関前の扉の上にある常夜灯は大正時代のガラスシェードを骨董屋で見つけて加工製作、配線をして取り付けましたが、この照明をつける事で一見古民家風のとても良い雰囲気を醸し出しています。 玄関前のポーチ。 家の南側を、花や木を植えたり畑にしています。 家の西側の狭い通路にもいろいろ植えてあります。 手前はブルーベリーの実が成っています。 駐車場、草に隠れていますがここで沢山イチゴが取れました。 人参とブロッコリーの種は来年用、人の背丈ほどあります。 上の写真は朝に収穫したイチゴで、今年は何度も収穫できて豊作でしたが、二年前に苗を植えてから昨年まで実はあまり実をつけませんでした。 自然農というものは結果が現れてくるのにどうやら三年位は掛かるようで、今年になってやっと実が沢山なりだしたということのようです。 できたイチゴはナメクジが結構食べていましたが、彼らも一生懸命生きていますのでそれで良いのです、虫も人も自然の一部なのですから。 ナメクジが食べた部分はキレイにカットして頂きました。 写真を見て頂ければわかるように、うちの家ではなるべく雑草も抜かずに出来るだけ自然のままの状態を保つようにしています。 ですからパッと見は畑なのか何なのかわからないような見た目なのですけれども、自然農は本来すべからくこういった感じなのです。 草の中には沢山の虫やカマキリの卵、幼虫、カエル達が暮らしており、蜂や蝶も花を求めて寄ってきま...

ジャニーズ問題について考える 中編 ジャニー喜多川が冒した罪

元ジャニーズに所属していたタレントでカウアン某なる青年が、記者クラブに於いてジャニー喜多川が彼に対して行ってきた性的虐待について告発していました。 その内容たるやあまりにも酷いもので、つぶさに書くと倫理規定に抵触しバンされてしまうような描写になるかもしれませんし、皆さんを不快な思いにさせることにもなりますので、敢えてその内容についてはここでは触れません。 ジャニー喜多川氏は1962年にジャニーズ事務所を創業し、1975年に東京六本木に設立した事務所の社長を、彼が亡くなる2019年迄務めていました。 彼は事務所である自宅の一部を「合宿所」として利用し、所属タレントである若い少年たちを合宿所に集めて共同生活を送っていました。 そこが、半世紀のあいだ彼の性欲を満たすための温床の場となったのでした。 元ジャニーズJr.であった平本氏という人は、実名で合宿所での驚愕的な性的虐待行為を告発しており、単純に考えても2500人以上の少年達がジャニー喜多川の性加害の犠牲となったと訴えています。 この数字についてはジャニーの行為の軽重はともかく、彼がその行為を繰り返してきた年月の長さを考えると決して大袈裟なものであるとは思われません。 たとえ露骨な行為では無くとも身体に触れたりするようなものまで含めると、その数字はさらにとてつもないものになってしまうのではないでしょうか。 告発した平本氏によると、少年達に対する性的な行為は毎晩の様に行われており、やらない日は無かった、とまで彼は話しています。 それに対して受け身の側の少年達の対応は果たしてどの様なものだったのでしょう。 皆が皆、それを受け入れていたということはまず絶対に有り得無いでしょう。 おそらく一番多いのは、タレントとして有名になりたくてジャニーズに入ったのだから、その夢の為に多少のことは我慢をしようというものだったのでしょう。 (あまり今迄表沙汰にならなかった経緯を考えると、残念ながらこのケースが一番多かったと思われます) しかし彼等も横の繋がりの情報交換をし、絶対にジャニーが手を出さない子の周りに固まって身を守るというような涙ぐましい努力というか、防衛策もいろいろと講じていた様です。 まあなかには、自身が同性愛で受け入れた少年も居た(とても有名で告白した人も居ます)でしょうし、その逆に耐えきれずに辞めていった人も少なからず居たこ...

前回の繋がりでタイの話題をもう一つ

前回は、本格的なタイ料理のお店を紹介させて貰いましたが、タイ繋がりでもう一つタイに関するお話をさせて下さい。 タイでは先日下院の総選挙が五月十四日に行われ、革新系野党である「前進党」が500議席の定員に対して152議席を獲得し、第一党となりました。 同じく革新系のタクシン元首相の流れを汲む(確かタクシン氏の娘が党首)最大野党であった「タイ貢献党」も141議席を獲得して、両党合わせて実に6割もの議席を獲得することとなりました。 タイと言えば、政治の世界では以前より軍事クーデターが頻繁に起こっていてもともと軍の力が強かったのですが、与党であった親軍派の二つの政党は合わせても76議席という結果となり、記録的な大惨敗となってしまいました。 特に首都バンコクでは野党側が圧勝しましたし、投票率も過去最高である75.2%を記録したということです。 何故そのような極端な現象が起こったのかというと、一つ目には「前進党」の党首であるピタ氏という人が、若干42歳でハーバード出身、しかも多言語にも堪能であり非常に経済通、理性的で能力もある、おまけになかなかの好青年であったことから民衆の圧倒的な支持を受けたことが挙げられます。 二つ目には8年も続いた前の政権与党が軍を後ろ盾にした政治をしていた為に、国民の間に軍政治はもう懲り懲りだという空気が蔓延していたことが雪崩的な現象を起こした要因となったのです。 さて、今回の大切な本題はここからです。 タイでは若者が中心となって、過去最高の75%という投票率で実際に政治をひっくり返してしまいましたが、翻って果たしてこの日本ではどうでしょうか? 相変わらず若い人たちの投票率は芳しくありませんし、選挙の投票率も5割を切るどころか下手したら選挙によっては3割代の投票率の場合もあるという始末です。 選挙にあまり関心がなく投票にも行かない日本の若者に対して、タイの若い人たちは選挙で政治を変えようという明確な意識を持ち、貴重な時間を割いて投票に行くという行動を起こして現実に政権を交代させるまでの結果を生み出しています。 確かに政治というものは本来とても難しいものです。 それは単に法律だけでなく、経済や世界情勢、文化、社会的な状況、医療、食料、教育等多岐に渡る事柄が包括的に繋がっていますし、世間に溢れ返った情報の洪水の中で、何が一体正しい情報なのかということの真贋を...

世界的大ヒットのインド映画 「RRR」

先日、すぐお隣の街にあるシネコンまでインド映画の「RRR」を観に行ってきました。 三十年ぐらい? 前になりますか、同じインド映画の「ムトゥ踊るマハラジャ」という映画が、当時結構評判になり映画館まで足を運びましたが、インド映画を観に行くのはそれ以来実に数十年ぶりの体験でした。 何故自分が観に行ったのかというと、昨年この映画が日本でも公開され、既に7ヶ月が経過した今でも全国で異例のロングランヒットが続いており、しかも大手ではなく弱小インディペンデント系の配給にもかかわらず累計の興行収入が20億円を突破したという事をSNSで知り、どうしても観たい衝動に駆られて出掛けたという次第です。 だいたい映画というものは公開初週の売上が一番多くて、配給が終るまで段々と下がってくるのが普通のパターンだそうですが、この映画については初週の売上の何と45倍以上の興収を未だに続けているのです。 皆さんは20億円と言われてもピンと来ないかも知れませんが、「ムトゥ踊るマハラジャ」が当時ヒットしたといわれても4億の興収だったそうですから、如何にこのインド映画が異例のヒットを続けているのかが分かります。 映画に少しでも詳しい方なら何となくお分かりでしょうが、インド映画というものはとにかく激しい歌と踊りがつきもので、しかも上映時間が非常に長い故に、ややもするとインド映画は疲れると言われる方が居るのかもしれません。 ちなみに連れ合いを誘ってはみたものの、インド映画は激しいからいいとやっぱり拒否されてしまいました(笑)。 何せインド人という人は、スパイスのタップリ入った料理を每日毎食のように食べ続けている人達ですから、日本人の穏やかな感性とは全く違うのは至極当然のことなのでしょう。 しかし自分が以前会社をやっていた頃、すぐ隣にインド料理屋が突然出来て、それからというものの一年以上に渡ってほぼ每日のようにインドカレーを食べ続けたという猛者ですから、全くもって自分にはインド映画に対して違和感というものは微塵もありません。 (少し前にも家の近くでインド料理の凄く旨いお店を見つけてから、週に一度は禁断症状が出て通っています 笑。) しかも、ある時知り合いの霊的な素養のある友人に、○○ちゃん、あなた過去世でインドのヒンドゥー教の行者をやっていたね!と突然言われ、だから自分は每日カレーばかり食べまくってもまったく飽き...

岐阜市柳ケ瀬 本格的タイ料理 ポーヤイ

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美川憲一の最大のヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」で有名な(ふるっ!)岐阜市の柳ヶ瀬にある、地元では名の知られたタイ料理の「ポーヤイ」さんに行ってきました。 岐阜高島屋の東側の通りを、南から北へ少しだけ入ったところにその店はあります。 地方のアーケード街は、残念ながら平日は何処もこんな感じでしょうね。 お店の全景。 入り口では、おじさんが無農薬野菜やクッキー、揚げパン等を販売していました。 タイの調味料などの食料品も販売していましたのでタイ米を購入しました。 (タイ米はカレーやチャーハンなどにはとても良く合い、調理の仕方を間違わなければ実はメチャクチャ美味しいのです) お店の中の様子、右がオーナーさん。 クラシックでオシャレな洗面。 ランチメニュー。 本日の日替わりランチ、おかず二品つきでオーダーしました(1200円)。 クィテオ ヌア(飛騨牛スジ肉の米の麺、太めのフォーみたいな感じ)を注文しました。 ここのオーナーの旦那さんがタイ人で、完璧なタイ料理を味わえます。 料理の辛さは、熱帯の国らしくはっきり言って辛めですから、苦手な方はどれ位辛いのか事前に聞いた方が良いでしょう。 以前死ぬ程辛い料理もありましたので、確かグリーンカレーだったか?(味仙の台湾ラーメンを更に辛くした感じで、インドカレー好きの自分もほぼギブアップ状態でした、) ちなみに今日食べた物はやや辛でとても美味しかったですよ。 それからタイ料理らしく香草をけっこう使用しています、香草が苦手な人はオーダー前に相談してみて下さい、連れ合いもベジタリアンだということを伝えると、肉抜きのランチ料理を作って貰えましたので多少は融通がきくみたいです。 お休みは、フリーマーケットをやっている日曜日は開いているみたいですが、その他の日曜は基本休みで、不定休の休みも時にはある様ですから必ず事前に確認してみて下さい。 パーキングははすぐ近くに60分200円で停める事が出来ました。 もしも柳ヶ瀬を散策したいのであれば、北へ100mほど真っ直ぐ行ったところに行きつけのお店、ア...

LGBTについて考える Ⅶ エピローグ LGBTとして生まれた意味

さて、前回はLGBTというものを霊的な意味合いから考察した内容でしたが、他にも書きたい事が沢山たまっていますのでそろそろこのトピックも締めにしたいと思います。 前のブログを補完する話になりますが、人の本質というものは、そもそもこの三次元世界で見たり感じたりするという肉体的な感覚で感知出来るものではなく、その内在する世界、別次元と繋がっている存在こそが本来の人間の姿なのです。 ですから我々が今、この世界を生きていて人生を体現する為に纏っている肉体というものは、分かりやすく例えて言うならば魂が着込んだ気ぐるみの様なもので、この世のすべての人々は今回の人生を全うする時には、その纏っていた気ぐるみを脱ぐ(即ち肉体の死)ということになるわけです。 そこで、肉体としての男女の性差は終わることとなります。 確かに生物学的な種の保存の法則から言えば、男性は男性らしく、女性は女性らしくあってお互いに惹きつけ合い愛しあって子孫を残していくということになるのですが、魂の側からみれば、肉体が滅んだ時点で男性性、女性性としての性差は終わり、どちらでもない本来の姿に戻っていく訳です。 それが証拠に、もしも魂にも性差があるのであれば、男の魂は男としてしか転生しないでしょうし、女の魂は女としてしか転生しないでしょう。 しかし皆さんは、その時々の魂の学びや必然性に応じて、実際には男になったり女になったりの転生を何度も繰り返しています。 簡潔にお話をすると、魂の世界というものは想念の世界でもありますので、なかには三次元での体験で性差が魂に色濃く残っているという人達が居り、そういった人達の中に、転生した人生でまとった肉体とは違った性が表に出てくる場合があるのです。 ですからそういった理屈を理解すれば、自分はLGBTであるという、当事者の方が悩む必要など全く無いということが分かります。 何せ魂には本来男も女も無いし、別にどちらでもいっこうに構わない訳ですからね。 もしもこのブログを御覧の方で、その方のお知り合いにLGBTで悩んでいるという人が居られたのでしたら、是非ともこのブログのトピックを一度読んでみるようお勧めしてみて下さい。 そしてもしその人が読まれたのであれば、何故肉体と想いが違うのかという魂の摂理の仕組みが理解出来て、自分がLGBTであるなどと悩むという事がなくなるのではないでしょうか。 例え肉...

地元の禅宗寺院の名刹

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地元の愛知県一宮市で、最大規模の境内を誇る寺院として知られた妙興寺へ行ってきました。 妙興寺は貞和四年(一三四八年)、滅宗宗興によって創建された寺院で、当時の室町幕府によって厚遇されておりましたが、時代とともに栄枯盛衰の曲折があり、近代にも火災にあうなどして一部の建造物を失うなどしました。 しかし、なおも中世寺院としての遺構も未だに残しており、立派な門や伽藍、境内の敷地の広さなど、地元の尾張地区では禅宗寺院随一と言ってもよい古刹として知られています。 参道からみた総門、犬山城五代目城主であった成瀬隼人が寄進したもの。 勅使門(ちょくしもん)、南北朝期のもので市内では最も古い建造物です。 三十三観音。 本堂。 御本尊、天井の手描きの絵がみえます。 仏塔。 これは仏陀が生まれたネパールのルンビニにある塔を、そのまま模したものだそうです。 ルンビニと言えばネパール人のコックの友達がいましたが、その人はサリックラムと言い、はたして彼は元気でやっているだろうか? 末寺。 臨済宗禅道場、毎月一日と十五日には一般の方が参加出来る坐禅会もやっていますので、興味のある方は問い合わせをしてみて下さい。 座禅は精神がが安定しますので良いようですよ。 境内はけっこう広くて散歩にはうってつけですが、まことに残念なことにワンちゃんの散歩は禁忌となっていました。 眷属が居ないお寺さんでも駄目なところもあるのですね、眷属さんは動物を連れて行くと殆どの場合怒りますので神社ではペットの動物は駄目な場合が多いのです、 神社は神域ですので。 すぐお隣には隣接して博物館もあり、そちらの駐車場も広くて2箇所車を停める事が出来ますので、お寺と博物館、どちらも行かれると良いでしょう。